地震と減災 原発はなぜ止まらない - 東京新聞(2016年4月20日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016042002000128.html
http://megalodon.jp/2016-0420-0947-41/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016042002000128.html

過去にないような地震が起きた。ところが過去の想定に従って、九州電力川内原発は動き続けている。被災者の不安をよそに、責任の所在もあいまいなまま、3・11などなかったかのように。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は川内原発に「安全上の問題が起きるわけではない」と言う。
政府もこれを受け「運転を停止する理由はない」と断じている。
規制委は、川内原発の再稼働を認めた審査の中で、今回の地震を起こした布田川・日奈久断層帯による地震の規模はマグニチュード8・1に及ぶと想定したが、原発までの距離が約九十キロと遠いため、影響は限定的だと判断した。
熊本地震は、その規模も発生のメカニズムも、過去に類例のない、極めて特異な地震である。
複数の活断層が関係し、断層帯を離れた地域にも、地震が飛び火しているという。
通説とは異なり、布田川断層帯は、巨大噴火の痕跡である阿蘇カルデラ内まで延びていた。海底に潜む未知の活断層の影響なども指摘され、広域にわたる全体像の再検討が、必要とされている。正体不明なのである。
未知の大地震が起きたということは、原発再稼働の前提も崩されたということだ。
新たな規制基準は、3・11の反省の上に立つ。「想定外」に備えろ、という大前提があるはずだ。
未知の地震が発生し、その影響がさらに広域に及ぶ恐れがあるとするならば、少なくともその実態が明らかになり、その上で「問題なし」とされない限り、とても「安全」とは言い難い。
過去の想定内で判断するということは、3・11の教訓の否定であり、安全神話の時代に立ち戻るということだ。
川内原発は、1、2号機とも運転開始から三十年以上たっており、老朽化も進んでいる。小刻みに続く余震で、複雑な機器がどのようなダメージを受けているのか、いないのか。
交通網が断ち切られ、食料の輸送さえ滞る中、十分な避難計画もできていない。
その上、九電は、重大事故時の指令所になる免震施設の建設を拒んでいる。
原発ゼロでも市民の暮らしに支障がないのは、実証済みだ。
それなのに、なぜ原発を止められないの? 国民の多くが抱く素朴な疑問である。