(余録)戦時下の米国シアトル市で… - 毎日新聞(2016年1月13日)

http://mainichi.jp/articles/20160113/ddm/001/070/133000c
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戦時下の米国シアトル市で中国系の少年と日系の少女の恋を描いた「あの日、パナマホテルで」(ジェイミー・フォード著)は米国で100万部以上売れたベストセラーだ。小説の舞台となったパナマホテルは実在し、現在も同市の旧日本人街に残る。
海外への移民政策は昭和の不況期に拡大した。夢や希望が大いに宣伝されたが、明治以降の爆発的な人口増加を背景に、職を失った人々の「口減らし」の意味もあったとされる。パナマホテルの地下には和式の銭湯があり、日本からの移民でにぎわったという。
第二次世界大戦で米国内の日系人約12万人は1942年、内陸の強制収容所に送られた。シアトルの日本人街からも人影が消えた。戦後も迫害は続き、自宅に戻ることができた人は少なかった。米政府が公式に強制収容を謝罪したのはレーガン政権時であり、現存者への賠償金支払いが終了したのは99年のことだ。
「人生には第二の機会はない。今、手のひらにあるものを握りしめて前に進むしかないのだ」。小説では初老を迎えた主人公が苦難の過去を懐古する。いつの時代も名も無き人々の悲哀は歴史に埋もれ、忘れ去られていく。
そのパナマホテルが昨年、米ナショナルトラストによって国宝に指定され、保存に向けた調査が行われることになった。地下の銭湯には強制収容される直前に人々が残したスーツケースなどの所持品が大量に保管されている。
混乱期の日系移民の暮らしは知られていないことが多い。74年間ホテルの地下に眠っていた品々の中には貴重な文化財もあるに違いない。所持品の開封作業は今月下旬から始まる。