(筆洗)終戦からおよそ半年。その正月、子どもがついた手鞠はどんな音が聞こえたかを想像する - 東京新聞(2016年1月3日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016010302000103.html
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<焼け跡に遺(のこ)る三和土(たたき)や手鞠(てまり)つく>中村草田男。手鞠は新年の季語なので、一九四六(昭和二十一)年の正月前後に詠まれた句であろう。終戦からおよそ半年。その正月、子どもがついた手鞠はどんな音が聞こえたかを想像する。荒廃に対する絶望の音か。明日への希望の音か。
その年に生を受けていたかにかかわらず、四五年の終戦の年を心に刻む日本人はたくさんいる。注目もされる。昨年は七十年の節目の年で、過去を振り返り、思いを新たにする機会にもなった。その半面、四六年のことになるとやや心もとない。
「日本史上空前絶後の暗黒の年明けたり」。作家の山田風太郎さんはその年の元日の日記にそう記している。戦争は終わったが、不安の色は濃い。戦争中と同じか、それ以上に物も心も貧しい日々が続く。
混雑した列車内の光景が一月十日の日記にあった。詰めてほしいと懇願しても、座席の人たちは寝たふりをする。「ああ苦しい。お情けはないんですかっ」「利己主義だなあ! 日本人は! これだから負けるんだ」「うるせえぞ。眠れやしねえ」−
自分のことで精いっぱいの正月。温かみも優しさも持ち合わせることができなかった世の息苦しさと絶望を思う。
松の内に似合わないコラムになったか。されど忘れて構わぬ年などない。やはり、今年も「一九四六年」から七十年の節目の年なのである。