満鉄会70年の歴史に幕 情報センター来春閉鎖 - 東京新聞(2015年12月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015121602000111.html
http://megalodon.jp/2015-1216-0916-01/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015121602000111.html

満鉄会は敗戦翌年の一九四六年、帰国した元社員の退職金など債権の確保や生活の安定を目指し発足。五四年に財団法人となり、厚生年金受給の証明書発行や満鉄の資料返還を米国に求める運動、慰霊碑の設置などに取り組んできた。
ピーク時に一万数千人いた会員は千人に減少。三年前から懇談会などの行事を取りやめ、情報発信に特化したセンターに改称するなど業務を縮小してきた。
満鉄は、鉄道を中心とした開発で満州の近代化を進める一方、日本軍が奉天(現在の瀋陽)郊外の満鉄線路を爆破した柳条湖事件に端を発する三一年の満州事変以降、軍への協力体制を強めた。傀儡(かいらい)国家「満州国」建国後、軍需輸送のための路線拡大を進め、経済政策などの立案にも関わった。