「間違って殺す それが戦争」若者の行動に希望 元BC級戦犯の訴え - 東京新聞(2015年9月16日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015091602000126.html
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安全保障関連法案が成立し、自衛隊の海外での米軍支援などが拡大すれば、テロ組織やゲリラとの戦闘に巻き込まれる危険性が高まる。太平洋戦争中、ニューギニア戦線で住民を殺害した罪に問われた飯田進さん(92)=横浜市=は「間違って殺すことはある。殺されることもある。それが戦争だ」と実態を直視しない政府を批判する。法案の行方を案じながらも、交流のある大学生が十五日の参院特別委員会中央公聴会で意見表明したことに希望を見いだした。 (小林由比)
アジアの民衆を救済解放するという志に燃えていた飯田さんは一九四三年、資源調査隊員としてニューギニアへ。戦いは激化、軍人ではない飯田さんも戦闘に参加することになった。
日本兵は飢えやあちこちに出没するゲリラの攻撃で死んでいった。四四年十一月、日本軍襲撃首謀の疑いをかけられた現地の村長の処刑に立ち会う。若い兵士は急所をとらえられず、何度も刺された村長は苦しみもだえた。逃げたところに飯田さんが日本刀を斬り下ろし、村長は死んだ。上官は「敵性ゲリラや住民を一人残らず殺りく、殲滅(せんめつ)せよ」との命令。殺害にためらいはなくなっていた。
飯田さんが食料運搬を手伝わせ「生命の安全は保障する」と誓った住民の女性や子どもたちについて、上官が「居場所が通報される。一人残らず殺す」と言った時は反対した。だが、その後、彼女らの姿を見ることはなかった。「敵か味方かなんて瞬時にだれが判断するんだ。自分の意思に関わりなく殺し、殺される。それが戦争だ」
飯田さんは敗戦後、住民を殺した罪でBC級戦犯として軍事裁判にかけられた。死刑を求刑され、重労働二十年の判決を受けた。五六年に仮釈放されるまで、東京の巣鴨プリズンに収監された。その後、ニューギニアを訪れ、自ら手にかけた村長が首謀者ではなかったことを知った。
民間人の惨殺など戦地での残虐行為は、イラク戦争でも明らかになっている。だが、安倍晋三首相は国会審議で「わが国がそのような行為を支援することがないのは当然」「論評することは差し控えたい」と、戦争の実相に向き合おうとしない答弁を続ける。「加害者になる覚悟があれば、あれだけ浮ついた言葉をつなぐわけがない」
幾度となく、自身をさらけ出し、人を殺してしまった場面も語ってきた飯田さん。昨年末に脳梗塞で倒れ、今は話す言葉もゆっくりだ。「歩こうにも歩けん、書こうにも書けん。いてもたってもおられんよ」。心のよりどころは、国会前で安保法案に反対の声を上げる「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」などの若い世代だ。
中心メンバーの奥田愛基(あき)さん(23)は五年前、飯田さんが体験を語るために赴いた島根県の高校生だった。「戦争のリアルさを感じたのは飯田さんに出会ったから」と奥田さん。飯田さんは「一粒の麦が育った」とほのかな希望を見いだしている。

<BC級戦犯> B級は殺害や虐待などの残虐行為の責任者で戦争法規違反の罪、C級はこれらの行為の実行者で人道に対する罪と分類されたが、実際の裁判では明確に区別されなかった。戦後、アジア・西太平洋地域の49法廷で約5700人が罪に問われ、約920人の死刑が確認された。BC級戦犯裁判で有罪に問われた韓国・朝鮮人や台湾人の軍人・軍属も多数いた。彼らは日本軍の最末端に位置付けられ、上官の命令に従わざるを得ない立場だったが、日本の戦争責任を肩代わりさせられる形で個人責任が問われた。