(筆洗)この夏も、やがてあの夏になる - 東京新聞(2015年8月31日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015083102000171.html
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<この夏も、やがてあの夏になる>。コピーライターの仲畑貴志さんによる、コーヒー会社の広告(一九九三年)を秋の訪れの時期に思い出す。明日からは九月である。
猛暑日続きで憎らしかった、この夏もあの夏という過去の呼び方になるのかと思えば少々寂しい。八月の後半は気温も落ち着き、付き合いやすい夏でもあった。
この夏は戦後七十年の夏でもあった。原爆忌終戦日に「あの戦争」を振り返り、日本の将来についてあらためて考えた方も大勢いらっしゃるだろう。安保法制をめぐる議論も重なり、戦争やそれに類いする動きを警戒する世の中の空気を強めたかもしれない。
『猫のゆりかご』などの米作家で二〇〇七年に八十四歳で亡くなったカート・ヴォネガットさんが最後のエッセー集『国のない男』にこんなことを書いている。「わたしは、わたしの孫と同世代の人々に心から謝りたい。そう、この地球はいまやひどい状態だ」。何もできなかった自分の世代から、次の世代に向けた詫(わ)び状である。
全国各地での安保法制に反対する大規模デモ。声を上げたのは、「この夏」に悔いを残したくない人だろう。遠い将来「あの夏、おじいちゃんは何をしていたの」と孫に聞かれ、「何もしなかった」とは詫びたくないと考える人々だろう。
安保法制をめぐる攻防は続く。抗議の夏を「あの夏」と呼ぶのはまだ早い。