今も続く満蒙開拓団の歴史 残留邦人2世ら夜間中学に40人 - 東京新聞(2015年8月21日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015082102000262.html
http://megalodon.jp/2015-0822-0829-24/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015082102000262.html

東京都内の夜間中学校では、満蒙(まんもう)開拓団として中国に渡り、戦後すぐに帰国がかなわなかった人やその二世ら四十人が現在も学ぶ。そうした生徒と交流する夜間中学の教員有志が、中国残留邦人をテーマにした映画の上映会を企画し、二十三日に都内で開く。「歴史に翻弄(ほんろう)されながらも懸命に学ぶ彼らの背景を多くの人に知ってほしい」と来場を呼びかけている。 (皆川剛)
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上映作品は、旧満州に渡りシベリア抑留後、中国残留孤児の肉親捜しに奔走した僧侶・山本慈昭(じしょう)さんの半生を描いた「望郷の鐘」(一四年、山田火砂子(ひさこ)監督)。新宿区の大久保地域センターで、二十三日午後二時と四時の二回。資料代千二百円。問い合わせは、中川さん=電090(2412)8853=へ。

満蒙開拓団 1932年、現在の中国東北部に建国された「満州国」に日本から入植した民間人。ソ連の侵攻を防ぐ国防の役割を担わされ、昭和恐慌で疲弊した農村を中心に計27万人が移住した。45年8月のソ連軍侵攻と敗戦の混乱の中で軍に置き去りにされ、飢えや集団自決などで8万人が死亡。多くの残留邦人を生んだ。