(天声人語)終戦の日に玉音放送を聞いた外国人がいる。 - 朝日新聞(2015年8月2日)

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終戦の日玉音放送を聞いた外国人がいる。戦時中、各国の大使館員らが軽井沢に移住させられた。その一人に名高いフランス人記者ロベール・ギランがいた。自宅監視の状態だったが正午に村人といっしょにラジオの前に立った。
隣組長の玄関前に集まった村人は身を固くして頭を垂れた。うやうやしく尊崇の念を払う対象が粗末な椅子の上のラジオだったので、その態度は異様に映ったそうだ。
「あちこちで啜(すす)り泣きが起(おこ)り、隊列が乱れた。途方もなく大きな何ものかが壊れたのだ」「彼らは逃げ、自分たちの木造の家で泣くために身を隠した。
村は、絶対的な沈黙に支配されたのである」。著書『日本人と戦争』に詳しく記している。
あの日、どこで何を思ったか。万の人に万の記憶があることだろう。それから70年、鎮魂の8月に玉音放送の原盤の音声が公開された。これまでテレビなどで聞いてきた占領軍の複製より鮮明な印象を受ける。未曽有の戦争を終わらせた昭和天皇の「4分半」である。
戦争を続けていれば落命したであろう人々は生き残り、驚異の復興を成し遂げた。とはいえ310万人の日本人戦没者のうち200万人近くは最後の1年の死者だったことを、前に書いたことがある。
特攻、空襲、沖縄、原爆――多くの悲劇がその間に起きた。時計の針を逆回しして玉音放送を早めていけば、死なずにすむ人は日々増える。戦場になったアジア諸国でもそれは同じだった。8月15日は、遅すぎた終戦の日でもある。