(筆洗)野党の議員が退席した衆院本会議場で、安全保障関連法案の可決を喜ぶ与党議員 - 東京新聞(2015年7月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015071702000143.html
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野党の議員が退席した衆院本会議場で、安全保障関連法案の可決を喜ぶ与党議員の拍手を耳にしながら、一つの短歌を思った。<新憲法成りたるときの国会の一瞬のしじま忘れて思(も)へや>入江俊郎(としお)。
入江氏は、法制局長官として新憲法の成立を支え、後に最高裁判事も務めた「法の番人」。国の新しいありようが定められた時、国会を包んだ静寂を思い忘れることがあろうか、という誓いの歌である。
帝国憲法の改正案が衆院本会議で最終的に採択されたのは、一九四六年十月七日。その日の議事録を見れば、圧倒的多数の議員の起立で可決され、拍手がわいたことが分かるが、静寂の一瞬があったとは記録されていない。声にならぬ声というものは、詩歌によって記録されるものなのかもしれぬ。
そのころに詠まれたこういう歌もある。<帰らざる十七人程の兵ありて静かなる村の一つの歎(なげ)き><戦友(とも)あまたを人間魚雷に死なしめて帰れる吾児(あこ)は多く語らず>菅原俊治(しゅんじ)。国の新たな出発に拍手がわいたその陰に、深く重い静寂に身を置く人々が無数にいたのだ。
安倍首相は自らを、五十五年前に「安保反対」の声に囲まれながらも、「私には声なき声が聞こえる」と言って日米安保条約の改定を強行した祖父・岸信介(のぶすけ)氏に重ねているのかもしれない。
しかし、戦後七十年の今だからこそ、耳を傾けるべき「声なき声」があるはずだ。