ニュースの言葉遣いにもお国柄があって、英米の報道ぶりで目立つのは、「納税者」という言葉を実によく使うことだ…-東京新聞(2015年3月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015030602000148.html
http://megalodon.jp/2015-0306-1540-42/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015030602000148.html

ニュースの言葉遣いにもお国柄があって、英米の報道ぶりで目立つのは、「納税者」という言葉を実によく使うことだ。
日本の新聞なら、「経営危機に陥った銀行を政府が国有化」と書くところを、「…銀行を納税者が救済する」と表現する。原発事故後に東京電力が実質国有化されたことを、英紙は「日本の納税者は東電を救わざるを得なかった」と書いていた。
なるほど「公費投入」「政府の支援」と報じるより、「納税者が…」と伝える方が、その金の出所が結局は私たちの懐であることが明確になる。「代表なくして課税なし」との言葉に象徴されるように、納税者意識の高まりが議会制民主主義を育んできた。そんな歴史がにじんだ言葉遣いなのだろう。
いま国会では、政治とカネをめぐる論議が続いている。政府の補助金を受け取る企業が、首相ら多くの国会議員に献金をしていた。言い換えれば「納税者の代表として税の使い道に目を光らせるべき人々が、納税者に助けを乞う会社から金をもらっていた」という問題だ。
政治資金規正法は原則的にそういう献金を禁じているが、議員が「その会社が補助金を受け取ったとは知らなかった」場合は違法とはならない。随分大きな穴の開いた規制の網だ。
私たちは「納税者の代表」に法を作る権限も託している。網の穴を繕うのに十分な針も糸も渡してあるはずなのだが。