(筆洗)『当世 悪魔の辞典』 - 東京新聞(2017年3月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017031002000134.html
http://megalodon.jp/2017-0310-1101-58/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017031002000134.html

責任とは何か。劇作家の別役実さんは『当世 悪魔の辞典』で、こう書いている。<締切日に原稿が上がらなかったとしても、執筆者の責任ではない。そのことを見越してあらかじめ締切日を早めておかなかった編集者の責任である>
<あらかじめ締切日を早めておいたにもかかわらず原稿が上がらなかった場合でも、執筆者に責任はない。編集者は当然、そのことも見越しておくべきであったからだ>。つまり責任とは、<一見ありそうなところにはないもののことである>と。
そんな不条理な…と言いたいところだが、最近の大物政治家たちの言動を見ているだけでも、この定義がいかに正確か分かろう。
森友学園への国有地売却をめぐる疑惑で首相は当初「(与党議員の関与は)一切なかった」と断言していた。しかし、与党議員の事務所による口利きが分かっても、学園の理事長ら関係者の国会への参考人招致などには、及び腰。総理総裁として解明責任を果たしていく、という意欲はどうにも見られぬ。
もう一人、石原慎太郎氏にいたっては、都知事として決断した豊洲市場への移転について、「都庁や議会、専門家が論議して決めたことを認めただけで…」
あの原発事故から六年。政府は原発再稼働を進めてきたが、事故が万が一起きた場合、為政者が自らの責任についてどう語るか。もうこれは「想定内」である。