「9条守る」最後まで 市民派、現場主義に徹し-東京新聞(2014年9月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2014092902000116.html
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ただ、市民派ゆえに、九三年の非自民連立政権での衆院議長就任は随分悩んだ。最終局面でも尊敬していた元同志社大学学長の田畑忍氏から「やめるというわけにはいかんのですか」と再考を求められている。

衆院選挙制度中選挙区から小選挙区に変わったのが、この土井議長の時。おたかさんは、中選挙区堅持だったが、議長ゆえに口を一切はさめなかった。親しかった田村元・元衆院議長は「土井議長じゃなかったら小選挙区は実現しなかっただろう」と振り返る。

独身を通し、「平和憲法と結婚した」と言われるように、「護憲のシンボル」でもあった。政界引退後も毎年、年賀状が届いたが、最後の筆を振るった二〇〇九年の年賀状には戦争放棄を明記した九条の「九」の大きな文字が力強く書いてあった。

この護憲、九条への思い入れは最後まで続き、安倍政権での武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権行使を認める憲法解釈の変更には「どういうことなの」と疑問を投げかけ、体が動かず、何もできない自分にいら立っていたという。