天声人語-朝日新聞(2013年10月21日)

http://digital.asahi.com/articles/TKY201310200298.html

その条文はいまの日本国憲法にも通じる内容だと評される。「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可(べ)シ他(た)ヨリ妨害ス可(べか)ラス且(かつ)国法之(これ)ヲ保護ス可(べ)シ」。自由民権運動が盛んなころ、西多摩の有志が研究、討議し、練り上げた「五日市(いつかいち)憲法草案」だ。

明治憲法の発布前、民間では数々の案が競うように書かれた。その「私擬(しぎ)憲法」の一つである。何人(なんぴと)も侵せない基本的人権の尊重や、法の下の平等といった近代的な原理をはっきりとうたっている。

皇后陛下は79歳の誕生日にあたり、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せた。この1年で印象に残ったことの一つに憲法論議を挙げ、その様子に新聞などで触れながら、五日市草案のことを「しきりに思い出しておりました」と記した。

そのとき、どのような感慨をもたれたのだろうか。憲法についての項は「長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と結ばれる。

いまの憲法は「押しつけ」だという議論が絶えない。一面ではそうだろう。他面ではしかし、それを受け入れる下地もあっただろう。戦前からの「民主主義的傾向」の積み重ねである。ポツダム宣言はそれを「復活強化」せよと促したのだった。

明治のころ闊達(かったつ)に交わされた草の根の議論の蓄積が、実はいまの憲法の遠い源流になっているという指摘もある。国のかたちをめぐって連綿と続く営みの跡をたどり直してみたい。