核廃絶の決意忘れるな=「被爆国の責任」政府に−73回目、長崎原爆の日 - 時事ドットコム(2018年8月9日)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080900210&g=soc
http://archive.today/2018.08.09-053331/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080900210&g=soc

長崎は9日、73回目の原爆の日を迎え、爆心地に近い長崎市松山町の平和公園で、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。田上富久市長は平和宣言で、核保有国に対し、核兵器廃絶を掲げた1946年の国連総会決議第1号の決意を忘れないよう訴え、日本政府には、核兵器禁止条約に賛同し、被爆国としての責任を果たすよう求めた。
式典には、被爆者や遺族、安倍晋三首相らが参列し、犠牲者の冥福を祈った。国連事務総長として初めてグテレス氏が出席。米ロ中など核保有国全8カ国も含め、71カ国の代表も参加した。
7月末までの1年間で新たに死亡が確認された3511人の名簿を遺族らが奉安。犠牲者に水と花輪をささげ、原爆投下時刻の午前11時2分、鐘の音に合わせ1分間黙とうした。原爆死没者数は17万9226人となった。
田上市長は平和宣言で、「核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器で軍事力を強化しようとする動きが再び強まっている」と懸念を表明。「核廃絶を目標とした決意を忘れないで、人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯す前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求める」と訴えた。
世界に対しては、国連で昨年採択された核兵器禁止条約の早期発効に向けて協力するよう呼び掛けた。条約に署名しない日本政府には、「唯一の戦争被爆国として、世界を非核化に導く道義的責任を果たすこと」を要求。朝鮮半島の非核化の動きを受け、「北東アジア非核兵器地帯」の実現への努力も求めた。
続いて、被爆者代表の田中熙巳さん(86)が「平和への誓い」を読み上げ。安倍首相は「核兵器のない世界の実現に向けて、粘り強く努力を重ねることがわが国の使命だ」とあいさつしたが、広島に続き今年も核兵器禁止条約に言及しなかった。
グテレス氏は「長崎を核兵器による惨害で苦しんだ地球最後の場所にするよう決意しよう」と呼び掛けた。

長崎平和宣言(全文)=原爆忌 - 時事ドットコム(2018年8月9日)

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080900479&g=soc
http://archive.today/2018.08.09-053446/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018080900479&g=soc

73年前のきょう、8月9日午前11時2分。真夏の空にさく裂した一発の原子爆弾により、長崎の街は無残な姿に変わり果てました。人も動物も草も木も、生きとし生けるものすべてが焼き尽くされ、廃虚と化した街にはおびただしい数の死体が散乱し、川には水を求めて力尽きたたくさんの死体が浮き沈みしながら河口にまで達しました。15万人が死傷し、なんとか生き延びた人々も心と体に深い傷を負い、今も放射線の後障害に苦しみ続けています。
原爆は、人間が人間らしく生きる尊厳を容赦なく奪い去る残酷な兵器なのです。
1946年、創設されたばかりの国際連合は、核兵器など大量破壊兵器の廃絶を国連総会決議第1号としました。同じ年に公布された日本国憲法は、平和主義を揺るぎない柱の一つに据えました。広島・長崎が体験した原爆の惨禍とそれをもたらした戦争を、二度と繰り返さないという強い決意を示し、その実現を未来に託したのです。
昨年、この決意を実現しようと訴え続けた国々と被爆者をはじめとする多くの人々の努力が実り、国連で核兵器禁止条約が採択されました。そして、条約の採択に大きな貢献をした核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞しました。この二つの出来事は、地球上の多くの人々が、核兵器のない世界の実現を求め続けている証しです。
しかし、第2次世界大戦終結から73年がたった今も、世界には1万4450発の核弾頭が存在しています。しかも、核兵器は必要だと平然と主張し、核兵器を使って軍事力を強化しようとする動きが再び強まっていることに、被爆地は強い懸念を持っています。
核兵器を持つ国々と核の傘に依存している国々のリーダーに訴えます。国連総会決議第1号で核兵器の廃絶を目標とした決意を忘れないでください。そして50年前に核拡散防止条約(NPT)で交わした「核軍縮に誠実に取り組む」という世界との約束を果たしてください。人類がもう一度被爆者を生む過ちを犯してしまう前に、核兵器に頼らない安全保障政策に転換することを強く求めます。
そして世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国の政府と国会に条約の署名と批准を求めてください。
日本政府は、核兵器禁止条約に署名しない立場をとっています。それに対して今、300を超える地方議会が条約の署名と批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約に賛同し、世界を非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます。
今、朝鮮半島では非核化と平和に向けた新しい動きが生まれつつあります。南北首脳による「板門店宣言」や初めての米朝首脳会談を起点として、粘り強い外交によって、後戻りすることのない非核化が実現することを、被爆地は大きな期待を持って見守っています。日本政府には、この絶好の機会を生かし、日本と朝鮮半島全体を非核化する「北東アジア非核兵器地帯」の実現に向けた努力を求めます。
長崎の核兵器廃絶運動を長年けん引してきた二人の被爆者が、昨年、相次いで亡くなりました。その一人の土山秀夫さんは、核兵器に頼ろうとする国々のリーダーに対し、こう述べています。「あなた方が核兵器を所有し、またこれから保有しようとすることは、何の自慢にもならない。それどころか恥ずべき人道に対する犯罪の加担者となりかねないことを知るべきである」。もう一人の被爆者、谷口稜曄さんはこう述べました。「核兵器と人類は共存できないのです。こんな苦しみは、もう私たちだけでたくさんです。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」。
二人は、戦争や被爆の体験がない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していました。二人がいなくなった今、改めて「戦争をしない」という日本国憲法に込められた思いを次世代に引き継がなければならないと思います。
平和な世界の実現に向けて、私たち一人ひとりにできることはたくさんあります。
被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知ることはその一つです。自分のまちの戦争体験を聴くことも大切なことです。体験は共有できなくても、平和への思いは共有できます。
長崎で生まれた核兵器廃絶一万人署名活動は、高校生たちの発案で始まりました。若い世代の発想と行動力は新しい活動を生み出す力を持っています。
折り鶴を折って被爆地に送り続けている人もいます。文化や風習の異なる国の人たちと交流することで、相互理解を深めることも平和につながります。自分の好きな音楽やスポーツを通して平和への思いを表現することもできます。市民社会こそ平和を生む基盤です。「戦争の文化」ではなく「平和の文化」を、市民社会の力で世界中に広げていきましょう。
東日本大震災原発事故から7年が経過した今も、放射線の影響は福島の皆さんを苦しめ続けています。長崎は、復興に向け努力されている福島の皆さんを引き続き応援していきます。
被爆者の平均年齢は82歳を超えました。日本政府には、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、今も被爆者と認定されていない「被爆体験者」の一日も早い救済を求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意をささげ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界と恒久平和の実現のため、世界の皆さんとともに力を尽くし続けることをここに宣言します。

教育崩壊 腐敗した学校法人と文科省 - HUNTER(2018年8月9日)

http://hunter-investigate.jp/news/2018/08/post-1229.html

教育現場の運営を担う「学校法人」と、教育行政を司る「文部科学省」が、崩壊現象を起こしている。森友、加計、東京医科大――。いずれも権力を利用して、自らの利益を得ようとした学校法人だ。日本大学は、内部の歪んだ権力構造で、最高学府への信頼を失っている。
一方、学校法人を指導・監督する立場にある文科省は、幹部職員が次々に逮捕されたり懲戒処分になるなど、犯罪者の巣窟状態。国の未来に暗い影が差す現状だ。一体何が起きているのか?
■政治権力と結びついた森友、加計
森友学園が設立を狙ったのは、教育勅語を軸に据えた右翼養成小学校。開学に必要な国の土地を取得するために、総理大臣とその夫人の影響力を利用したというのだから、スタート前から「教育機関」を名乗る資格はなかった。
言うまでもなく、教育は政治に対し一定の距離を置くことが求められる。教育基本法には、《法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない》と規定されている。
天皇絶対の思想を植え付けるために利用された教育勅語が戦後の日本で否定されたのは、権力側の教育利用を排除するためだった。衆議院は「教育勅語等排除に関する決議」を、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議し、教育勅語と決別している。
幼稚園児に、「安倍首相 がんばれ」と叫ばせる学校法人がまともであるはずがないのに、大阪府や国は、森友学園が設立を目指した小学校を認め、格安の土地まで提供した。教育基本法を無視した結果は、周知の通り。国政を歪めた首相夫人は愚かというしかないが、政治に頼って学校を作ろうとした森友学園の元理事長は、しょせんただのエセ教育者でしかない。
加計学園も、獣医学部新設に総理の権力を利用した。誰が、どう否定しても、学園側の意図を総理が知らなかったという釈明には信憑性がなく、総理官邸での関係者との面会など元総理秘書官の動きは、便宜供与を疑わせるに十分なものだったことが明らかになっている。不正な道筋を通って出来た大学に、最高学府の称号を与えるのは間違いだろう。
■理事長が腐らせた日大
腐りきった学校法人内部の姿を露呈させたのが日大大学である。アメリカンフットボール部員による反則タックルに端を発した同大大の歪んだ学内構造には、OBも唖然。これだけ世間を騒がせておきながら、大学トップの田中英寿理事長はいまだに会見さえ開いていない。来年、創立130周年を迎える日大の教育理念は「自主創造」だが、これが一番実践できていないのが、権力の座にしがみつき、逃げ回るばかりの田中理事長であることは疑う余地がない。田中氏がやってきたのは「利の創造」なのである。
■存続が危ぶまれる東京医科大
日大以上に腐りきっていたのが東京医科大学だ。文科省の官僚に不正を持ち掛け、その見返りに官僚の子供を不正入学させていた。不正入学させるために20点下駄を履かせていたとされるが、情実で入学した学生は、他にも多数いたという。
一方で、女子受験生の入学率を下げるため、一律減点していたというのだから呆れるしかない。ばかな学生をせっせと増やし、優秀な受験生の将来を閉ざした同学に、もはや教育機関の資格はあるまい。遡って受験料を全額返金した上で、過去の不正入学者まで洗い出し、医師免許を得た者にはそれを返上させるべきだろう。ここまで腐ってしまえば、大学として存続が許されるのかどうかさえ疑問だ。
規範意識をなくした文科省
絶望的なのは、学校法人を指導・監督する文科省が、学校法人以上に汚れ切ってしまったことだ。7月4日に受託収賄の疑いで東京地検特捜部に逮捕されたのは、同省の科学技術・学術制作局長。東京医科大を、文科省の私立大学支援事業に選定させることの見返りに、自分の息子を同医科大に「裏口入学」させていた。医学部人気が高止まりするなか、金銭ではなく職務上の権限を取引材料にしたことはまさに「前代未聞」だ。
さらに同月26日には、同省前国際統括官が収賄容疑で逮捕された。宇宙航空研究開発機構JAXA)に出向中の2016年、医療コンサルタント業者の依頼で宇宙飛行士を講師として派遣する際に謝礼を受け取り、金額にして約140万円相当の接待などを受けていたとされる。人気の高い宇宙飛行士の講演について、謝礼や接待を受けて優先的に取り扱ったというから、もはや倫理観はブローカー並みに落ちるところまで落ちた。
30日には、40代の同省職員が懲戒免職された。京都教育大学に出向中の2015年10月ごろから、学生保護者の教育後援会費約770万円を横領した疑いだという。朝日新聞などによると、同職員は横領した後援会費を「ゲームなどの課金」の支払いに充てたという。
たった1カ月の間に局長級が2人も逮捕される「異常」事態。学校法人の乱れ方と合わせ、日本の教育が崩壊現象を起こしているのは確かだ。原因はどこにあるのか?
■安倍政治の弊害
安倍政権が民主主義の原理・原則を無視した政権運営を進めるなか、この国から規範意識がなくなった。軸を失った戦後教育の弊害が噴き出たことも、一因だろう。明治維新以後、日本が唯一世界に誇れたのは、「名を惜しむ」――つまり“武士道”の精神だったが、一強政治が続くなか、「恥を知る」政治家も官僚もいなくなった。安倍政権は、平気で教育や報道に圧力をかけ、国の本来あるべき姿を歪めてきたのだ。その象徴が、森友と加計の両学校法人を巡る疑惑だった。教育崩壊は、起こるべくして起きた。責任は、もちろん私たち有権者にも、ある。

翁長知事死去「沖縄のために命削った」 11日の県民大会、出席かなわず - 東京新聞(2018年8月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080902000134.html
https://megalodon.jp/2018-0809-0941-32/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080902000134.html

膵(すい)がんで闘病中の翁長雄志(おながたけし)・沖縄県知事が死去した八日、県内外に衝撃が広がった。先月下旬には、名護市辺野古(へのこ)で進む米軍新基地計画をめぐり、前知事による埋め立て承認の撤回を表明したばかり。翁長氏とともに新基地建設に反対してきた市民からは回復を祈る声が相次いでいたが、届かなかった。基地の島は深い悲しみに包まれた。 (宮崎美紀子、井上靖史)
山城博治・沖縄平和運動センター議長(65)は本紙の電話取材に、「そんなに悪いとは思わなかった」と絶句した。「あまりにも急すぎる。私も末期がんだったが回復したので、翁長さんもと祈っていた。翁長さん、なんでそんなに急ぐの?」と声を落とした。
辺野古新基地をめぐって政府は今月十七日の土砂投入を通告。山城さんらは六日から反対運動を強化し、この日も建設地に近い米軍キャンプ・シュワブのゲート前で二百人以上で座り込みの抗議活動をしていた。
山城さんは「翁長さんは県民の支えだった。気丈で揺るがなかったその信念を改めて感じている。時には手厳しいことを言って申し訳なかった。翁長さんの思いに現場での反対運動でこたえていきたい」と思いを新たにした。
十一日には翁長氏を支援する「オール沖縄会議」が、那覇市内で三万人以上が参加する県民大会を開き、土砂投入阻止を訴える予定がある。謝花(じゃはな)喜一郎副知事によると、翁長氏は自ら出席し、考えを説明することを望んでいた。
「県民大会を成功させることが翁長氏の健康回復につながる」と語っていた、ヘリ基地反対協議会・安次富(あしとみ)浩共同代表(72)も、死去の報に「言葉が出ようもないじゃないですか」。悔しさをにじませ、長い長いため息をついたのち、「ぼくらとしては、辺野古に基地をつくらせないという翁長知事の強い政治信念をこれからも引き継いで、沖縄で戦っていく。それしかない」と語った。
市民団体「沖縄の基地を引き取る会・首都圏ネットワーク」共同代表の田村真弓さん(55)=東京都世田谷区=は「沖縄を守るためにすごく命を削っていた。政権や、本土の国民が翁長さんの邪魔はしても協力することはなかった」と振り返り、涙が止まらなかった。
団体では全国の知事に対し、沖縄の基地負担をどうするか独自にアンケートを取っており、現在まとめている最中。沖縄の負担軽減に向けて日米地位協定の改定に意欲を示す他知事も目立つといい、「翁長さんに結果を渡したかった」と話した。

翁長沖縄知事が死去 辺野古阻止、政権と対立 - 東京新聞(2018年8月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018080902000164.html
https://megalodon.jp/2018-0809-0942-24/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018080902000164.html

米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)への移設に伴う新基地建設阻止を掲げ、反対運動の象徴的存在だった翁長雄志(おながたけし)知事が八日午後六時四十三分、膵(すい)がんのため同県浦添市の病院で死去した。六十七歳。葬儀・告別式などは未定。翁長氏は新基地建設を巡り、七月に埋め立て承認撤回方針を表明しており、九日に県が沖縄防衛局から弁明を聞く聴聞が実施される予定だった。死去は新基地建設問題に大きく影響する可能性がある。
職務代理は副知事が務める。任期満了に伴う知事選が十一月投開票の予定だったが、公選法では、後継を選ぶ知事選は県選挙管理委員会に死亡を通知後、五十日以内に実施されることになっており、九月中に前倒しされる見込み。
翁長氏は四月に受けた人間ドックがきっかけで膵がんが判明。手術を受け病名を公表、闘病中だった。
謝花喜一郎(じゃはなきいちろう)副知事によると、翁長知事は七月三十日に再入院。今月四日、病院で面会した際には、自ら意思決定できない状況になった場合などの対応を任された。「承認撤回は自分でしっかりやりたい」と話したという。七日から意思決定に支障が出る状態になった。謝花氏は後継については「聞いていない」と説明した。
翁長氏は七月二十七日に埋め立て承認の撤回表明の記者会見に臨んだ後、検討していた東京出張を見合わせるなど、公の場にほとんど姿を見せていなかった。
翁長氏はこれまで、十二月の任期満了に伴う知事選への態度を表明しておらず、建設反対派の候補者擁立の動きも停滞している。反対派は死去を受け、候補者調整を急ぐ方針だ。一方で移設を進める政権与党は、宜野湾市の佐喜真淳(さきまあつし)市長の擁立を決めている。
翁長氏は那覇市出身。一九七五年法政大卒。会社役員を経て八五年に那覇市議に初当選し、県議、那覇市長を歴任し、市長四期目の途中で二〇一四年に県知事選に初当選した。
沖縄県によると、職務代理は八〜十二日は謝花副知事、十三日から当分の間は富川盛武(とみかわもりたけ)副知事が務める。

「オール沖縄」声上げ続け 怒りの翁長氏、県民率い - 東京新聞(2018年8月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018080902000158.html
https://megalodon.jp/2018-0809-0943-47/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018080902000158.html

知事公舎の庭にあるガジュマルの木の前で、琉歌を刻んだ石碑(左手前)について語る翁長雄志知事=1月1日、那覇市


<評伝> 「辺野古に新基地をつくらせない」。翁長雄志氏はその一点で沖縄の保守と革新の両陣営を結び付け、二〇一四年十一月の沖縄県知事選で前職を十万票の大差で破り、第七代県知事に就任した。自民党出身の保守政治家ながら「イデオロギーよりアイデンティティー」「オール沖縄」を訴え、辺野古移設を進める政府に立ち向かった。今年七月には、前知事の埋め立て承認撤回を表明。最後まで新基地建設反対の先頭に立った。
昨年九月から今年二月末まで、沖縄の地元紙「琉球新報」に出向し、翁長県政を間近で取材した。その半年間も米軍機の不時着炎上や、小学校へのヘリ窓落下など、米軍による事件・事故が相次いだ。翁長氏は米軍側に「県民は疲れ果てて、何ら信用できない。とても良き隣人とは言えない」と抗議。日米両政府に対して声を上げ続けても一向に変わらない現実に怒り、あきれ、それでも諦めることなく、沖縄を代表して声を上げ続けてきた。
五十四歳で胃がんとなり胃の全摘手術を受けた。知事就任後に刊行した著書「戦う民意」では「政治的に死んでも肉体的に滅んでも、沖縄を代表して言いたいことを言おう」と宣言していた。
ことしの元旦、那覇市の知事公舎へあいさつに行くと、愛する孫らとともに出迎え、庭にあるガジュマルの木を見せてくれた。両手を広げても抱えきれない太い幹。木の前には、知事が自ら発注したという、琉歌が刻まれた石板があった。「芯や天冠みてぃ、枝や國廣ぎ、根や地の底に、果ていん無らむ」
広く枝や根を張るとの意味。しかし枝を伸ばすべき空には米軍機が飛び、根を張るはずの県土には米軍専用施設が集中し、新基地も造られようとしている。
六月二十三日の沖縄「慰霊の日」追悼式では、がん治療の影響で頭髪のない、痩せた姿で会場を見据え、平和宣言を読み上げた。「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」。会場から大きな拍手や指笛が送られた。
翁長氏が民意とともに人生を懸けて、子や孫のためにつくり上げようとした沖縄の姿。その決意は県民の心に受け継がれている。 (村上一樹、写真も)

(翁長雄志知事急逝)命を削り公約守り抜く - 沖縄タイムズ(2018年8月9日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/296082
https://megalodon.jp/2018-0809-0944-52/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/296082

翁長雄志知事が8日夕、膵臓(すいぞう)がんのため、入院中の浦添市内の病院で急逝した。67歳だった。
そのわずか1時間半ほど前、謝花喜一郎副知事が県庁で記者会見し、知事の職務代理を置くことを発表したばかりだった。
あまりにも突然の訃報というしかない。
翁長知事は4月に膵臓の腫瘍の摘出手術を受け、ステージ2の膵臓がんだったことを公表していた。5月に退院した後は、抗がん剤治療を受けながら県議会や慰霊の日の式典など公務をこなしてきた。
しかし新基地建設を巡り埋め立て承認撤回を表明した7月27日の会見以降、公の場には姿を見せていなかった。がんは肝臓にも転移し、7月30日に再入院していたという。
糸満市摩文仁で開かれた慰霊の日の沖縄全戦没者追悼式で、知事は直前までかぶっていた帽子を脱ぎ、安倍晋三首相を前にして、声を振り絞って平和宣言を読み上げた。
「新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」
翁長知事は在任中の4年間、安倍政権にいじめ抜かれたが、この姿勢が揺らぐことはなかった。安易な妥協を拒否し、理不尽な基地政策にあらがい続ける姿勢は、国際的にも大きな反響をよんだ。
知事は文字通り命を削るように、辺野古反対を貫き、沖縄の自治と民主主義を守るために政府と対峙(たいじ)し続けたのである。
その功績は末永く後世まで語り継がれるに違いない。心から哀悼の意を表したい。

■    ■

翁長知事は政治家一家で育った。
旧真和志村長だった父助静さんは、軍用地の一括払いなどを巡る「島ぐるみ闘争」の超党派代表団に選ばれ、沖縄の声を全国に伝えた。
元副知事の兄助裕さんは、1994年の知事選に立候補し「保革を超え、県民の心を一つにした県政を」と訴えた。
翁長知事は父親や兄から保守中道の姿勢を受け継ぎ、県民が心を一つにして基地問題に取り組むことが必要だと説き続けた。
仲井真弘多前知事が2010年11月、再選を期して立候補した時、辺野古反対を公約に掲げるよう仲井真氏に直談判したのは翁長知事である。
4年前の知事選では翁長氏が仲井真氏に10万票近い大差をつけて当選、保革を超えた新しい政治潮流の台頭に全国から多くの期待が寄せられた。

■    ■

公選法により後継を選ぶ知事選は、県選挙管理委員会に死亡を通知後、50日以内に実施される。9月中となる見込みだ。
県政奪還を狙う自民党県連などでつくる候補者選考委員会は既に宜野湾市の佐喜真淳市長の擁立を決めている。
県政与党や知事を支える県選出国会議員、オール沖縄の代表は、一日も早く今後の対応を協議し、志半ばに倒れた翁長知事の遺志を受け継ぐ後継候補を決めなければならない。
県内政治の流動化が一気に加速しそうだ。

(大弦小弦)生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は… - 沖縄タイムズ(2018年8月9日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/296083
https://megalodon.jp/2018-0809-0945-54/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/296083

生粋の保守政治家だった翁長雄志知事の転機は2013年1月、那覇市長として参加したオスプレイ配備撤回を求める東京行動だったのではないか。「沖縄の総意」を示そうと銀座をパレードした県内全市町村長らが、沿道から「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」などの罵声を浴びた

▼東京のど真ん中で体感したむき出しの沖縄差別に「衝撃を受けた」という。翌年の知事選に「イデオロギーよりアイデンティティー」を掲げて出馬した際、動機の一つとして繰り返し語っていた

▼政府と鋭く対立して一歩も引かなかった背景にはあの日の屈辱があったはずだ。15年、辺野古新基地建設反対の県民大会での「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー」の言葉は多くの県民の心に響いた

▼6月の県議会でやせ細った姿で懸命に机の縁につかまって歩いていた。本来は治療に専念すべき病状だったのだろう

▼7月27日の埋め立て承認撤回を表明した会見。基地建設阻止の公約の実現性を疑問視する質問に一瞬笑みを浮かべ、気色ばんで反論した。「何十年先も沖縄は振興策をもらって基地を預かったらいいですよ、などというのはとても容認できない」。最後の公の場となった

▼沖縄の知事が在任中に亡くなったのは初めて。志半ばでこの世を去った無念さは想像に余りある。ご冥福を祈りたい。(田嶋正雄)

翁長知事が死去 命懸けで職務を全うした - 琉球新報(2018年8月9日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-778581.html
http://archive.today/2018.08.08-224507/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-778581.html

膵臓(すいぞう)がんの治療を続けていた翁長雄志知事が8日、死去した。67歳だった。4月に手術を受けたが、がん細胞が肝臓に転移していたという。心から冥福をお祈りしたい。
翁長氏は、名護市辺野古沿岸の新基地建設阻止を公約に掲げ、2014年の知事選で36万票余りを獲得し初当選した。復帰後7代目の知事だ。
就任直後から基地建設を強行する政府と全面的に対立してきた。さまざまな心労、疲労が積み重なったのだろう。
前知事による辺野古埋め立て承認の撤回を、7月27日に表明したばかりだった。がんの苦痛を押して記者会見に臨んだと思われる。文字通り、命懸けで政治家の職務を全うした。
もとより、沖縄県の知事は他県とは比較にならないほど厳しい重圧にさらされる。国土の0・6%にすぎない県土に全国の米軍専用施設面積の70%が集中し、凶悪事件や米軍機の墜落といった重大事故が繰り返されてきたからだ。
歴代の沖縄県知事はことごとく、過重な基地負担という深刻な課題に向き合い、苦悩してきた。その重みは健康をむしばむほど過酷だ。
屋良朝苗氏から革新県政を引き継いだ第2代知事の平良幸市氏は山積する政治課題の処理に追われる中、1978年7月、東京に公務出張中、脳血栓で倒れた。入院を経て同年10月に辞任している。
第3代の西銘順治氏も84年に都内の病院で胃がんの手術を受けた。当時は胃潰瘍と胆のう炎と発表され、本人にもがんであることは知らされていなかったという。
第4代の大田昌秀氏は92年の2月定例県議会開会中に風邪やめまいの症状が出るなど体調を崩して入院した。51日後に公務復帰している。
第5代の稲嶺恵一氏は入院こそしなかったが、基地問題のことが常に頭を離れず、日々大きな精神的重圧にさらされていたと語っている。
第6代の仲井真弘多氏も、07年6月23日の沖縄全戦没者追悼式に出席した直後に、軽い脳梗塞のため緊急入院している。
翁長氏は機会あるごとに「辺野古に新基地は造らせない」と言い続けた。志半ばで病に倒れ、さぞかし無念だったことだろう。
知事職務代理者は、謝花喜一郎副知事に続いて、富川盛武副知事が務める。9日には辺野古沿岸部の埋め立て承認の撤回に関し、沖縄防衛局側の言い分を聞く「聴聞」が控えている。まずは、基地問題への対応を含め、県政運営に混乱を来さないよう万全の態勢を取ってほしい。
現職知事の死去に伴う知事選挙は50日以内に行われる。既に自民党など野党が推す宜野湾市長・佐喜真淳氏らが出馬を表明している。今後、与党側の後継候補人選が本格化する。どのような対決構図になるにせよ、基地問題に真正面から向き合い選挙戦を展開してもらいたい。

核軍拡の時代と日本 「唯一の被爆国」の筋通せ - 毎日新聞(2018年8月9日)

https://mainichi.jp/articles/20180809/ddm/005/070/039000c
http://archive.today/2018.08.09-004810/https://mainichi.jp/articles/20180809/ddm/005/070/039000c

「いまほど平和が不確かなものに思える時代があっただろうか」
米国とソ連を中心に核軍拡が進んでいた1981年8月6日、毎日新聞の社説は広島・長崎の原爆忌に当たって、そう書いた。
「恐怖が大きすぎて、逆に恐怖が実感できなくなっている」「とりあえず、きのうもきょうも平和に過ぎたことが、平和の保証であるかのような錯覚のなかで、われわれは生きているのではないのか」と。
37年後の今、私たちは同じような状況に直面している。米朝の軍事衝突の危機は遠のいたとはいえ、北朝鮮の核廃棄は進まず、核保有が恒常化する恐れもある。
また、米オバマ前政権の「核なき世界」構想は過去のものとなり、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、多くの核兵器保有国が核兵器システムの新規開発や近代化を進めている。
だが、その一方で、唯一の被爆国としての日本の自覚が揺らぎ、核廃絶に向けて行動する責務を怠っているように見えるのも、別な意味で危険な状況と言わねばならない。
昨年7月、核兵器を違法とする核兵器禁止条約が国連で採択されたが、日本は賛成しなかった。条約に関してノーベル平和賞を受けた「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の主要メンバー訪日の際、安倍晋三首相は日程を理由に面会を断った。6日の広島の記念式典でも首相は同条約に言及しなかった。
米国への遠慮だろうか。だが、被爆者の平均年齢が82歳を超えたことを思えば、核廃絶への弾みとしてむしろ大切にしたい条約だ。「長崎、広島の価値観と、政府の政策に大きなギャップがあると感じた」とICAN側が言うのはもっともだ。
また、日本は使用済み核燃料から取り出された47トンのプルトニウムを抱えている。約6000発の原爆の材料になりうる。外国には日本が将来の核兵器開発を含みにしていると勘ぐる人も少なくない。
李下に冠を正さずである。きょうの長崎の式典に国連事務総長が初めて出席するのは「不確かな平和」への懸念からだろう。この際、日本は核兵器禁止条約への態度を改め、プルトニウム保有も含めて核廃絶の決意を疑わせる要素を一掃すべきだ。

原爆の記憶継承 若い世代の新たな挑戦 - 朝日新聞(2018年8月9日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13628229.html
http://archive.today/2018.08.09-004914/https://www.asahi.com/articles/DA3S13628229.html

広島と長崎の被爆者は、平均年齢が82歳を超えた。
原爆を巡る記憶はいや応なく遠のいていく。今春、プロ野球広島東洋カープに対戦チームの応援席から「原爆落ちろ」とヤジが飛んだ。長崎では、修学旅行中の中学生が語り部被爆者に「死に損ない」と暴言をあびせたこともある。学校での平和学習は、教育の政治的中立を強調する声の高まりで忌避の風潮が広がり、被爆地でさえ「後退」が指摘されて久しい。
唯一の戦争被爆国として「核兵器のない世界」の実現を訴える日本には、広島・長崎の体験と記憶を継承する責任がある。広がる無関心と無理解、圧力と萎縮にどう抗していくか。
長崎市出身で、原爆を経験した母親から話を聞いてきたノーベル文学賞受賞作家、カズオ・イシグロ氏(63)は「実際に生き抜いた人と会い、フェース・トゥ・フェースでつながる」大切さを言い、「体験が『歴史』になり始めたとき、違う方法で語らねばならない」と説く。
核兵器禁止条約の国連での採択に貢献した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は、世界各地の四百六十余のNGOからなる。30代が中心の若い世代が、縁もゆかりもなかった広島や長崎の被爆者に向き合い、人権や環境の保護、開発支援などそれぞれに取り組んできた課題と重ね合わせ、暮らしをおびやかす「非人道性」に矛先を向けた。
■人権・環境と重ねて
日本でも、ICANに通じる試みが広がりつつある。
核兵器廃絶を目指す国際署名活動でキャンペーンリーダーを務める林田光弘さん(26)は、長崎生まれの被爆3世だ。中学時代に関心を深め、国連を訪ねて平和を訴える長崎発の活動「高校生平和大使」も担った。大学進学で上京後、周囲の関心の低さに驚き、悩んだ。
いま、講演会などで全国を飛び回りながら強調するのは、「新しい視点を持つ」ことだ。
核兵器の恐ろしさを、人間の尊厳の破壊という観点で考えてみる。国際的な環境保護運動アースデイ」の行事に飛び込み、環境の側面から見た核兵器の問題点を訴える。
原爆問題に興味がない、特に若者に参加してもらおうと、イベントの開催でお笑いタレントやモデルと組んだ。今年2月に東京・渋谷で開いた「ヒバクシャと出会うカフェ」では、一方通行の語りにならないよう、被爆者1人を3人が囲み、双方の思いが行き交うようにした。
■ゆるくつながる
広島市平和記念公園の近くにあるカフェ「ハチドリ舎」は、政治、環境、人権、災害ボランティアといったテーマについて、関心を持つ人がゆるやかに集まり、語らう場だ。
経営する安彦(あびこ)恵里香さん(39)は茨城県の出身。国際NGOへの参加をきっかけに、原爆をはじめ未解決の課題を意識するようになった。クラウドファンディングを活用して1年前に開店。関連する書籍を並べ、イベントを開きながら「ソーシャルブックカフェ」をうたう。
毎月「6」のつく日に、被爆者の証言を聞く会を催す。「原爆の日」の6日は被爆者や原爆孤児ら7人を招いた。家族連れ、女子高生、原爆忌に合わせて帰省した地元出身者、米国人らが店内で小さな輪を作った。
被爆者と友達になってほしい。知ることで優しくなれるし、被爆地だけの問題ではないとわかる。もっと人が出会い、つながる場にしたい」と話す。
被爆者とともに
こうした取り組みを被爆者が後押しする。林田さんに国際署名活動のリーダーになるよう声をかけたのは、日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)だった。被爆体験を若者に伝えようにも、社会の状況が当時と大きく異なり、対話すらままならない。ならば、発信から若者に任せよう。そんな考えからだ。
日本被団協の運動にまつわる資料や被爆者の証言、手記、絵などを収集しているのが、NPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」だ。ネット上に公開し、東京でセンターの開設を目指す。
大学生らが整理や分類などを手伝っている。数人のグループは、被爆者に関するデジタルアーカイブを作る仕組みを整えた。被爆前と被爆してからの人生を、デジタル地図の上で追えるようにする。世界各地に散らばる被爆者を紹介し、連絡してみようと思わせる仕掛けだ。
作業に協力する渡邉英徳・東大院教授(43)は「若者のほうが最新の技術に詳しく、おもしろがってアイデアを持ち寄る」と話す。手伝いを通じて学生が原爆について考え、継承の担い手に育つことを応援する。
確実に減り続ける被爆者が悲願とする「核なき世界」を、人類全体の目標に――。未来を生きる世代の自由な発想と行動に期待したい。

きょう73回目の長崎原爆の日 核廃絶へ「被爆者と連帯」グテレス国連事務総長も参列 - 長崎新聞(2018年8月9日)


https://this.kiji.is/399944195492365409?c=174761113988793844
http://archive.today/2018.08.09-005245/https://this.kiji.is/399944195492365409?c=174761113988793844

長崎は9日、原爆投下から73回目の「原爆の日」を迎えた。長崎市松山町の平和公園で営まれる「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(平和祈念式典)には米国やロシアなど核保有8カ国を含む71カ国の大使らが参列を予定。初めて参列する国連のグテレス事務総長は8日、市内で田上富久市長や中村法道知事、被爆者らと面会、核廃絶を目指し「長崎、広島、被爆者と連帯するためここに来た」と述べた。
平和祈念式典には遺族や被爆者、安倍晋三首相らも参列。午前10時40分に開始し、7月末までの1年間に死亡が確認された3511人の原爆死没者名簿4冊が奉安される。名簿には核廃絶運動を長年けん引し、昨年亡くなった谷口稜曄(すみてる)さんと土山秀夫さんも含まれる。累計で17万9226人分となる。
原爆投下時刻の11時2分に黙とうする。田上市長は「長崎平和宣言」で、核保有国に核軍縮への誠実な取り組みを求め、日本を含む世界各国に核兵器禁止条約への署名、批准を訴える。
長崎で被爆した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員、田中熙巳さん(86)=埼玉県新座市=が県外在住者として初めて被爆者代表の「平和への誓い」を務め、核禁条約や憲法9条への思いを述べる。
 式典映像は、長崎原爆資料館(平野町)と長崎ブリックホール(茂里町)でも生中継する。県内各地で平和集会や追悼行事が開かれ、長崎は祈りに包まれる。
8日、中村知事は、面会したグテレス事務総長に対し「核のない世界を実現するには被爆の実相を理解することが大切」と述べ、各国の指導者に被爆地訪問を働き掛けるよう求めた。
同日夜は平和公園で子どもたちが作った約3800本のキャンドルが点灯され、平和を願うコンサートが開かれた。

平塚で「スクール議会」 高校生「議員」市に提言:神奈川 - 東京新聞(2018年8月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201808/CK2018080902000137.html
https://megalodon.jp/2018-0809-0952-23/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201808/CK2018080902000137.html

平塚市在住・在学の高校生が「議員」になり、落合克宏市長と質疑応答する「ひらつかスクール議会」が八日、市役所の市議会議場で開かれた。高校生らは、七夕まつりなど三つのテーマを巡って市の考えや現在の取り組みを問い、生徒同士で討議してまとめた提言を発表した。
平塚青年会議所が、若者に政治に関心を持ってもらおうと企画し、昨年に続いて二回目。募集に応じた二十六人の生徒は「七夕まつりの活性化」「平塚の農業のPR」「観光客が足を運びたくなるような海岸エリア」のテーマ別に委員会をつくり、事前に関係者の話を聞いたほか現地を視察して問題点を調べ、改善策に知恵を絞った。
七夕まつりについては、飾り付けに使われた竹が大量に廃棄されている点に着目。竹を利用した玩具制作や、竹をくりぬいて中に明かりをともす「バンブーアート」の展開などを提案し、市の支援を求めた。
農業の知名度アップでは、高校生が農業体験で生産した農産物を使って料理を作り、イベントで地産地消をPRしたり、農業写真コンテストを開いたりするのが効果的と主張。ふるさと納税の返礼品にももっと活用するよう訴えた。
市外から海岸エリアに訪れる観光客を増やす対策として、「砂の上でも走れる自転車のレンタル」や外国人向けマップの設置、海岸の愛称を市民から公募して付けることなどを提言した。
落合市長は愛称の公募を「新しい発想で興味深い」と評するなど、「それぞれ具体的なアイデアも盛り込まれている。若いパワーがまちづくりの推進に欠かせないと改めて感じた」と語った。 (吉岡潤)

(政界地獄耳)森と安倍、いまさら何を言うのか… - 日刊スポーツ(2018年8月9日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808090000238.html
http://archive.today/2018.08.09-011400/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201808090000238.html

★7日、東京五輪パラリンピック組織委員会会長・森喜朗、同会長代行・遠藤利明と首相・安倍晋三が会談し、大会に合わせたサマータイム(夏時間)の導入について、政府・与党で検討する考えを示した。無論、反対意見も根強く五輪の暑さ対策のためだけにサマータイムを導入することでの経済的リスクや全国を対象とする混乱などが懸念され、五輪自体も朝早く競技がスタートしても午後の競技は暑い時間のピークに当たることは変わりがないことなど、現実的ではないとの声が多い。いまさら何を言い出すのか。それは招致した時からわかっていたことではないのか。
★そもそも東京五輪招致のための最終プレゼンテーションで首相は「フクシマについてお案じの向きには、私から保証いたします。状況は統御されています(アンダー・コントロール)。東京にはいかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも及ぼすことはありません。汚染水は福島第1原発の0・3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている。健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」は本当なのか。組織委員会はよほどこちらを優先的に調査し、世界に向けて大会直前に検証報告できるのかが問われているのではないか。
★競技団体からも過去の体育的体質からスポーツへ脱皮する苦悩が続いている。過去の柔道、最近ではレスリングやボクシングだ。選手やコーチたちはうみをだし切ろうとしているにもかかわらず、組織の幹部連中はその変化に対応できていないようだが、国民にさまざまな負担も強いる中で、政府は国民に何を求めているのか。協力か強制か。1度整理する時期に差し掛かっているのではないか。(K)※敬称略

たばこの害2兆円超 がん治療、介護、火災など - 中日新聞(2018年8月8日)

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018080802000268.html
http://web.archive.org/web/20180808110404/http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2018080802000268.html


たばこの害による二〇一五年度の総損失額は医療費を含めて二兆五百億円に上ることが、厚生労働省研究班の推計で分かった。たばこが原因で病気になり、そのために生じた介護費用は二千六百億円で、火災による損失は九百八十億円だったことも判明した。
一四年度も直接喫煙や受動喫煙による医療費を算出していたが、一五年度は介護や火災に関する費用を加えた。研究班の五十嵐中(あたる)・東京大特任准教授は「たばこの損失は医療費だけでなく、介護など多くの面に影響が及ぶことが改めて分かった」とし、さらなる対策が必要だとしている。
推計は、厚労省の検討会がたばこと病気の因果関係が「十分ある」、もしくは「示唆される」と判定したがんや脳卒中心筋梗塞認知症の治療で生じた医療費を国の統計資料を基に分析。こうした病気に伴って必要になった介護費用や、たばこが原因で起きた火災の消防費用、吸い殻の処理などの清掃費用も算出した。
最も多かったのは、喫煙者の医療費一兆二千六百億円で、損失額の半分以上を占めた。中でもがんの医療費は五千億円を超えた。受動喫煙が原因の医療費は三千三百億円で、多くを占めたのは脳血管疾患だった。歯の治療費には一千億円かかっていた。
介護費用は男性で千七百八十億円、女性で八百四十億円に上った。原因となった病気別でみると、認知症が男女合わせて七百八十億円と最も多く、次いで脳卒中などの脳血管疾患が約七百十五億円となった。都道府県別では東京都が二千億円となるなど、都市部で金額が膨らむ傾向があった。

◆社会全体に大きな損失
<たばこ対策に詳しい産業医大の大和浩教授の話> たばこが健康に悪影響を与えているだけではなく、社会全体に大きな損失をもたらしていることを示した貴重な研究だ。喫煙はがんや心筋梗塞、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患だけでなく、介護の原因となる脳梗塞認知症のリスクも高める。つまり医療費だけでなく介護費にも負荷をかけていることになる。また、たばこは火災の原因になるほか、ホテルや賃貸アパートでは部屋の壁紙を頻繁に替える必要が出てくるなど清掃費用も増大させる。より厳しい規制を考えるべきだ。

<たばこの健康リスク> 喫煙者が吸うたばこの煙には、発がん性物質が約70種類含まれているとされる。厚生労働省のたばこ白書は、喫煙で引き起こされる病気として肺がんや胃がんなどさまざまながんや脳卒中歯周病、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患を列挙。また認知症の発症も、喫煙との因果関係が示唆されるとしている。受動喫煙で周りの人が吸い込む副流煙はニコチンなどの有害物質が主流煙の数倍も含まれている。受動喫煙は、乳幼児突然死症候群や子どものぜんそくの原因にもなる。