日本語学校化する「夜間中学」の残念な実情 前川喜平氏と歌人・鳥居さんが訴える - 東洋経済オンライン(2018年4月1日)

https://toyokeizai.net/articles/-/214218

3月18日、前川氏と鳥居さんによるトークイベントが都内で開催されました。教育問題を中心としたさまざまなことについて語られるなかで、2人が明かした「夜間中学」の現状と課題とは?
夜間中学の問題について、セーラー服の歌人・鳥居さんと、前文部科学事務次官前川喜平氏が語り合います。

https://toyokeizai.net/articles/-/214218?page=3
しかし、まだまだ課題は多い。その1つとして前川氏は、憲法第26条「教育を受ける権利、教育の義務」の第2項について、改正したほうがいいと提言。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。(憲法第26条2項)

「“保護者は”子どもに教育を受けさせる義務を負う、とありますが、主語を“国は”に書き換えたほうがいい。鳥居さんは保護者がいろいろ変わり、養護施設でも虐待に遭うなどして、その責任が果たされていなかった。学校にも行けなかった。そういうとき、保護者に代わって公的機関が入り、子どもが学校に行けるようにするべきです」
前川氏は、夜間中学が日本語学校化していることも問題視している。現在、夜間中学に通う生徒の約7割が、日本語を知らない外国人。そのため、日本語教育からせざるをえない現状があるという。
「高校や大学に行くため、中学校の教科を学びたいという日本人生徒のニーズ。日本語を学びたいという外国人生徒のニーズ。あまりにも違いすぎて、今の夜間中学は応えられていないんです。先生を増やすとか、日本語教室は別に作るとか、文科省が対応していかないといけない」

「東海第二」審査大幅遅れ 「対応遅い」規制委が原電批判 - 東京新聞(2018年4月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201804/CK2018041202000144.html
https://megalodon.jp/2018-0412-1511-01/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201804/CK2018041202000144.html


日本原子力発電(原電)が再稼働を目指す東海第二原発茨城県東海村)の原子力規制委員会による審査が、原電の準備不足で大幅に遅れている。規制委は審査打ち切りをほのめかしてねじを巻くものの、運転期限四十年となる十一月二十七日までに、三つの審査を終えなければ廃炉になる。 (小川慎一、越田普之)
「対応が極めて遅い。怒りさえ感じる。ぎりぎりになって書類を出されても、検査しきれない。いいかげんまともに対応してもらいたい」。十一日に開かれた規制委の定例会合で、審査を担当する山中伸介委員は原電を厳しく批判した。
東海第二は三つの審査が並行している。原発の新規制基準と最長二十年の運転延長という二つの審査では、規制委が事故対策に必要な資金千七百四十億円の確保を求めていた。東京電力東北電力から援助を受けられる見通しとなり、まずハードルの一つを越えた。
しかし、施設の詳細設計など工事計画にかかわる審査が停滞。新設する防潮堤の耐震性の評価や重要機器の強度の試験が終わっていない。このため、原電は審査の前提となる資料を準備できず、規制委に説明を終えるとした時期が当初の予定よりも二カ月程度遅れることになった。
十一日の会合に原電関係者は出席しなかったが、山中委員は原電の技術的な能力面に課題があると指摘し、「四、五月は大事な時期。これ以上回答がない場合、審査の継続そのものを考えてほしい」と言及。状況次第では、審査打ち切りが視野に入ってくる。
規制委の更田豊志(ふけたとよし)委員長も同日の定例会見で、「六月末までに見通しがたたないなら非常に深刻。夏を越えて本質的な議論が残っていたなら、時間的に不可能だ」と話した。
一方、原電は取材に「審査に全力で対応してまいる所存」とコメントを出すにとどまった。

<東海第二原発> 日本原子力発電(原電)が1978年11月に営業運転開始。出力は110万キロワットで、東京電力東北電力管内に供給してきた。住民の避難計画策定が必要な30キロ圏(14市町村)に約96万人が暮らす。原電は3月、立地する東海村以外の水戸など周辺5市にも再稼働の事前同意権を拡大した協定を結び、県と6市村の同意が不可欠となった。原電は原子力規制委員会に2014年5月に新規制基準の審査を、17年11月に最長20年の運転延長の審査を申請した。

愛媛側の来訪 事前伝達 15年3月 官邸側が文科省に - 東京新聞(2018年4月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018041290070710.html
http://web.archive.org/web/20180412053159/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018041290070710.html


学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部開設を巡り、愛媛県今治市の幹部ら一行が柳瀬唯夫首相秘書官(当時)に面会する直前の二〇一五年三月、首相官邸側から文部科学省に「愛媛県今治市加計学園の関係者が近く首相官邸を訪問する」と伝えていたことが十一日、文科省関係者への取材で分かった。 
一行が一五年四月二日、柳瀬氏と面会した記録文書について、愛媛県は担当者が作成したと認めている。柳瀬氏は「自分の記憶の限りでは、県や市の方に会ったことはない」としているが、文科省関係者の証言で県文書の信ぴょう性があらためて裏付けられた。
文科省関係者によると、一五年三月、官邸側から「近く県や市、学園の関係者が官邸に来ることになっている。官邸で誰が対応し、どういうスタンスで答えるのがいいか、文科省の考えを参考にしたい」と文科省側に連絡があった。同省側は「特区として対応すべきではなく、全国レベルの問題として考えるべきだ」と伝えたという。
官邸側から連絡したのは、当時、内閣官房に出向していた文科省幹部で、本紙の取材に「覚えていない」と答えた。
文科省関係者は「一自治体の職員が首相官邸を訪問することは、普通に考えて、あまりない。何らかのルートを使ったのだろう」とみている。
当時、加計学園は学部開設に向け、慎重な姿勢の文科省と水面下で交渉を重ねていた。文科省関係者によると、同省は学園に既存の獣医大学との差別化を図ることなどを求めていたが、満足な回答がなかったという。
県作成の文書には、「先日安倍(晋三)総理と(加計孝太郎)同学園理事長が会食した際に、下村(博文)文科大臣が加計学園は課題への回答もなくけしからんといっているとの発言があった」と記されている。
文科省関係者は「当時、愛媛県今治市が申請していた構造改革特区への対応は、大臣に判断を仰ぐ重要案件で、下村大臣は獣医学部特区に関心を寄せていた」と証言する。
下村氏は十一日、国会内で記者団に、県文書の記載内容について「驚いている。全く言っていない」と否定した。本紙は安倍事務所と下村事務所、加計学園に質問状を送っているが、十一日中に回答はなかった。

加計問題の質疑で「違う」 首相秘書官、玉木氏にヤジ? - 朝日新聞(2018年4月11日)

https://www.asahi.com/articles/ASL4C5V2LL4CUTFK033.html
http://archive.today/2018.04.12-014644/https://www.asahi.com/articles/ASL4C5V2LL4CUTFK033.html

「秘書官ですか? あなたは。質疑者にヤジを飛ばすのはやめてもらいたい」

11日の衆院予算委員会で、希望の党玉木雄一郎代表が安倍晋三首相の後ろの席にいた首相秘書官に強く抗議する一幕があった。
この秘書官は、経済産業省出身の佐伯(さいき)耕三氏。加計(かけ)学園の獣医学部新設への関与が問われる柳瀬唯夫・元秘書官の後輩にあたる。
玉木氏が首相に加計学園の計画を知った時期などをただしていると、佐伯氏は繰り返し発言。玉木氏によると「違う」「間違っている」などと繰り返したという。抗議を受けた佐伯氏は首相への助言だと説明し、首相も同調したが、玉木氏は「私じゃなくて総理に向かって言うべきだ」と指摘。佐伯氏は何度もうなずき、その後は首相に近寄って助言するように改めた。
質問後、玉木氏は記者団に「首相秘書官がヤジを飛ばすなんて前代未聞。安倍政権の傲慢(ごうまん)な姿勢が隅々まで行き届いている」と批判した。

(政界地獄耳)霞が関がいかに国民をなめているか - 日刊スポーツ(2018年4月12日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804120000157.html
http://archive.today/2018.04.12-010600/https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201804120000157.html

★11日、衆院予算委員会の集中審議は森友、加計、イラク日報隠蔽(いんぺい)問題など、安倍内閣の正当性が問われる天王山といわれた。午前中に質問に立った自民党柴山昌彦が、文書に「首相案件」と記載されたことについて首相・安倍晋三に聞いた。安倍は「愛媛県が作成した文書については、コメントを差し控えたい」としたが、午後の立憲民主党枝野幸男には「私が意図していないこと、私的なことについて、私の秘書官が首相の意向を振り回すということはあり得ない」とし、「私は元上司として信頼している」と擁護した。
立憲民主党川内博史の質問。決裁文書に当時理財局国有財産課長・現理財局総務課長・中村稔の電子決済があるが、首相の昭恵夫人に関する記述を認識していなかったはずがないとただした。同局理財局長・太田充は「決裁印を押印した責任はあるが、ちゃんと読んでいない」という新たな言い訳を生み出した。前国税庁長官の答弁もひどかったが、中村のとぼけた言い訳を代弁する太田も、すでに当事者能力に欠ける。
★この程度の説明で野党のみならず、国民が納得すると思っているのならば、霞が関の中央官庁がいかに国民をなめているかが容易に想像できるが、その采配は官邸のものだろうか。共産党国対委員長穀田恵二は「全て(の道は)ローマに通ずではないが、安倍晋三首相に通じる。安倍政権がある限り、この事態は解決しない」と会見で言い放った。一方、自民・公明両党は、加計問題で野党が求める経産省経済産業審議官で元首相秘書官・柳瀬唯夫の国会招致について、「必要に応じて是非を判断する方針を確認した」という。前国税庁長官・佐川宣寿に次ぐトカゲのしっぽが生まれるようだ。(K)※敬称略

森友ごみ積算、近畿財務局が増量依頼 航空局に数億円分 - 朝日新聞(2018年4月12日)

https://www.asahi.com/articles/ASL4C661GL4CUTIL06P.html
http://archive.today/2018.04.11-212615/https://www.asahi.com/articles/ASL4C661GL4CUTIL06P.html

森友学園への国有地売却問題で、地下のごみの量を見積もっていた2016年当時、近畿財務局が大阪航空局に積算量を増やすよう依頼した、と取引に関わった当事者が説明していることがわかった。撤去費が8億円ほどとなるよう持ちかける内容で、大阪航空局はいったん見積もった額から数億円ほど増額したという。取引の経緯を調べている大阪地検特捜部も同様の証言を得ている模様だ。
関係者によると、近畿財務局の依頼は、値引き額を約8億円とすることが前提になっていたとみられる。ごみ撤去費の積算額をもとにすべき値引き額を、積算前に決めていたことになれば、国有地売却の妥当性が大きくゆらぐことになる。工事積算基準に基づいて適正に算定した、としてきた財務省国土交通省の姿勢が厳しく問われそうだ。

森友・加計審議 うそはどっちか白黒を - 東京新聞(2018年4月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018041202000187.html
https://megalodon.jp/2018-0412-0943-32/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018041202000187.html

加計学園森友学園の問題で国会は集中審議した。「首相案件」と記載された愛媛県職員作成の元首相秘書官との面会記録。安倍晋三首相は「コメントを控える」と述べた。国民は到底納得しまい。
愛媛県今治市加計学園の幹部が二〇一五年四月二日、当時の柳瀬唯夫首相秘書官らと面会。場所は首相官邸。時間は午後三時から。県職員は柳瀬氏の発言を備忘録として記録していた。
「本件は、首相案件」「内閣府藤原次長の公式のヒアリングを受けるという形で進めていただきたい」「現在、国家戦略特区の方が勢いがある」「自治体がやらされモードではなく、死ぬほど実現したいという意識を持つことが最低条件」…。
細かい指示とも受け取れる発言がいくつもいくつも並ぶ。柳瀬氏は「自分の記憶の限りでは、愛媛県今治市の方に会ったことはない」とコメントを発表している。だが、愛媛県知事はこの文書が県職員が報告の備忘録として作成したものだと認めた。真実性についても「職員が文書をいじる必然性はまったくない。全面的に信頼している」と述べた。
どちらかが、うそをついている。安倍首相のコメントしないという姿勢は、誠実ではない。逆に正直にコメントすれば「本件は首相案件」という言葉につながるからではないのか。
安倍首相は加計学園獣医学部新設での認可プロセスは適正だったとの見解を強調した。加計孝太郎理事長から「相談や依頼があったことは一切ない」などと。新設計画を把握した時期は一七年一月としてきたが、新たに判明した文書では一五年四月以前という疑いも浮かぶ。疑惑は深まる。
白か黒か、真実がどちらか不明な場合だ。しかもこの一年、国民を巻き込んで大きなスキャンダルとなっていた。柳瀬氏や加計氏らの証人喚問をすべきである。
森友学園の問題をめぐっては驚くべき答弁もあった。約八億円の値引きをめぐり、安倍首相は「適正か適正でないか、決め付けるわけにいかない」と答えた。昨年の国会では政権・政府側はずっと「適正」を前提に答弁してきたのではなかったのか。
財務省森友学園側、近畿財務局と「トラック何千台も走った気がする」などと口裏合わせを図ったことが発覚した。八億円値引きにはからくりがある。こちらも疑惑の根は深い。国民はからくりの全容解明を望んでいる。

加計文書に「コメントせず」 首相答弁は、やはり苦しい - 毎日新聞(2018年4月12日)

https://mainichi.jp/articles/20180412/ddm/005/070/089000c
http://archive.today/2018.04.12-004441/https://mainichi.jp/articles/20180412/ddm/005/070/089000c

求められているのは基礎的な事実の確定である。首相秘書官が愛媛県の担当者らと面会したのか、しなかったのか。見解の相違で済ますわけにはいかない。
加計学園獣医学部新設をめぐる愛媛県の文書について、安倍晋三首相はきのうの衆院予算委員会で「国としてコメントする立場にない」との答弁を繰り返した。
県の文書には、2015年4月2日に県と今治市の職員、学園幹部が首相官邸を訪れ、当時の柳瀬唯夫首相秘書官(現・経済産業審議官)が「首相案件」と述べたとある。
柳瀬氏は「記憶の限り」で面会を否定するコメントを出したが、首相は「柳瀬元秘書官の発言を信頼している」との答弁にとどめた。
一般に裁判では、記憶に基づく証言より文書記録の方が証拠能力が高いとされる。県側が記録に残した面会の事実が「なかった」と言うなら、政権側はその根拠を示すべきだ。
この問題では、首相と学園理事長が友人であることを理由に政権側が便宜を図った疑いがもたれている。今治市が国家戦略特区に申請する2カ月前にこの面会があったかどうかは問題の核心部分である。
愛媛県が「加計ありき」で長年、獣医学部の誘致に取り組んできたと加戸守行前知事が発言したとき、首相はそれを積極的に引用し、首相の関与を疑うメディアへの攻撃材料にも使った。自分に不利な文書にはコメントもしないというのは、ご都合主義ではないか。
野党の質問に正面から答えず、聞かれていないことを長々と話し続ける「はぐらかし答弁」も目立った。県の文書と柳瀬氏のどちらがうそをついているのかと問われると、国の公文書管理の話にすり替えた。
県の文書の真偽をうやむやにして切り抜けようとする首相の答弁はいかにも苦しい。
いくら記録文書が見つかっても、言った、言わないの水掛け論で終わる状況が1年近く続いている。今回もそうなるなら、国民の政治不信に拍車がかかるだろう。
自民党二階俊博幹事長は「うんざりしている」と語った。与党も含め国会全体に危機感が広がっている。柳瀬氏や学園理事長らの証人喚問を行い、真相究明を急ぐべきだ。

加計と森友 はぐらかし、いつまで - 朝日新聞(2018年4月12日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13446683.html
http://archive.today/2018.04.11-231943/https://www.asahi.com/articles/DA3S13446683.html

森友学園をめぐる財務省の決裁文書の改ざん、「首相案件」という文書が見つかった加計学園獣医学部新設、そして防衛省自衛隊の日報隠し――。
行政の信頼を根底から揺るがす事実が次々と明るみに出る中、きのう衆院予算委員会で集中審議が行われた。
森友・加計問題では、自身や妻の昭恵氏の関わりも指摘されている。行政のトップである安倍首相の説明責任が問われる重大局面だ。
しかし、首相は野党の質問に正面から答えず、紋切り型の答弁に終始した。これでは、国民の信頼回復など到底おぼつかない。
とりわけ注目されたのが、審議直前に明らかになった加計問題をめぐる愛媛県の文書に対する見解だ。
県の職員や学園関係者らが2015年4月に面会した柳瀬唯夫首相秘書官(当時)の発言を記録したもので、「本件は、首相案件」と記されていた。
首相は県作成の文書を「国がコメントする立場にない」と評価を避ける一方で、面会の事実自体を否定する柳瀬氏を「信頼している」とも述べた。
論理的には、県か柳瀬氏のいずれかがウソをついていることになる。だが、首相は学部新設までのプロセスは適正で、自らが指示したことはないという答弁を繰り返し、疑問に向き合おうとはしなかった。
県の文書には、15年4月以前に首相と加計孝太郎理事長が会食し、獣医学部の問題を話題にしたととれる記述もあった。事実なら、学園の計画を知ったのは、学園が特区の事業者に決まった17年1月20日だとしてきた首相の国会答弁が覆る。
首相は否定したが、加計氏と親密な関係にありながら、正式決定まで知らなかったという説明は、もともと腑(ふ)に落ちるものではなかった。この日の答弁で誰が納得できようか。
森友問題では、地中のごみ撤去をめぐり、財務省が学園側に口裏合わせを求めた問題が取り上げられたが、誰がどんな判断で指示したのか、核心に触れる説明はなかった。
真相解明に後ろ向きな政権の姿勢が、事態の混迷を招いていると言わざるを得ない。
通常国会の会期はあと2カ月余り。柳瀬、加計両氏ら、関係者の証人喚問などを通じ、立法府は行政監視の使命を果たさなければいけない。政権も真相解明に全力をあげる責務がある。
はぐらかしは、もう許されない。行政府のみならず、首相自身の信任が問われている。

(大弦小弦)松本清張の初期の短編「ある小官僚の抹殺」は… - 沖縄タイムズ(2018年4月12日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/236348
https://megalodon.jp/2018-0412-0951-18/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/236348

松本清張の初期の短編「ある小官僚の抹殺」は、汚職事件に関与したノンキャリア官僚の死の真相をめぐる推理小説。社会派と呼ばれた作家らしい筆致で、権力と職務のはざまで苦悩する役人の末路を描く

▼巻き込まれた下級官僚は死に追いやられ、政治家や高級官僚は巧みに追及を逃れる。半世紀以上前の作品の描写は「昭和」そのものだが、主題は古びていない。どこかで聞いた現在進行形の話のようで読後の味は苦い

加計学園問題で「首相案件」と書かれた文書が焦点となった11日の衆院予算委の集中審議。相手の自治体が面会記録を残しているのに官僚の答弁は「記憶にない」「すでに破棄」の連発だった

▼一流大学を出て各省庁で競争を勝ち抜き、国会答弁に立つまでに出世したキャリア官僚の仕事ぶりがそれほどいいかげんだと本気で信じる人がいるだろうか

安倍晋三首相は2014年、テレビ番組「笑っていいとも」に出演し、03年に当時の小泉純一郎首相が電話出演した際の会話内容を詳しく語って司会のタモリさんを驚かせた。「そういう記録は全部残ってるんですね、やっぱり官邸には」とうれしそうに語る様子がネット上に残っている

▼バラエティーの会話記録があるなら職務上の面会記録も残っているはずだ、やっぱり官邸には。心ある官吏は早く思い出してほしい。(田嶋正雄)

「妹は私が守る」腕に残る包丁の傷跡 義父の暴力、必死のSOS - 沖縄タイムズ(2018年4月11日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/230085
https://megalodon.jp/2018-0412-0946-15/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/230085

◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第4部 見つけた居場所 歩 一歩ずつ(1)
母の恋人が変わるたびに…
午後4時。そろそろ子どもたちの下校時間だ。外から女児の楽しそうな笑い声が近づいてきた。「おかえりー!」。沖縄市のももやま子ども食堂スタッフ、玉城歩(あゆみ)(27)が笑顔で出迎える。
はしゃぐ子どもたちと食卓を囲み、かりんとうを差し出す。「おいしい? もっと食べる?」。小腹を満たした子どもたちは、そのうちけん玉で遊び始めたり、「自分の名前、漢字で書けるわけ」と自慢し始めたり。引っ込み思案な子もいるが、歩は全員に目を配り、一人にさせない。
「あい、何そのスパッツ、おっしゃれー」「久しぶり。ねー髪切ったんだけど、かわいくない?」。隙があればおどける歩の周りには笑顔が広がっていく。
東日本大震災熊本地震での子どもの居場所づくりボランティアを経て、2016年に子ども食堂に就職。週5日、昼から夜9時まで働いている。「子どもが子どもらしく笑える場所にしたい。モットーは全力で一緒に遊ぶことです」。よく通る声でハキハキと話した後、一呼吸間を空けて切り出した。「私はお母さんにそうしてもらえなかったから」。左腕には、包丁で刺した長さ数センチの傷跡がうっすらと残る。
初めて「お父さん」と暮らしたのは幼稚園の時。「知らない人が家にいる」と幼いながらに違和感を覚えた。実の父の記憶はなく、物心ついた時から母はあまり家に帰らなかった。
小学1年の頃には妹が生まれたが、母は変わらず家にいない。歩が小さな手で哺乳瓶を握ってオムツを代え、台に登ってキッチンに立った。主食はケチャップごはん。そもそも、冷蔵庫が真っ暗でまともなおかずがなかった。
母の恋人が変わるたびに知らない町へと引っ越し、通った小学校は5校。どの家も安心できる場所ではなく、2人の兄は次第に家に寄りつかなくなった。
妹がおなかをすかせて泣くのだけは耐えられず、小5の頃には人にお金を借りることを覚えた。近所の名前も知らないおばあちゃんに借りたこともあった。「変な目で見られてるのは分かってたけど、お願いするしかなかった」。極限状態の中で、自尊心がどんどん傷ついていった。
暴力振るう義父「もう楽になろう」と
小5の頃、「次の父」の家へ引っ越すと見知らぬ赤ん坊がいた。何も聞かされないうちに2人目の妹が生まれていた。その翌年には3人目の妹が誕生。「私が守らなきゃ」。玉城歩は3人の命を背負った。
当時の義父は主に母がいない時、歩に暴力を振るった。でも、「私が我慢すればいい」と誰にも言わなかった。一緒に食卓を囲んだことがなくても、2カ月間家に帰ってこなくても母が大好きで、母と妹との生活を守りたかったから。
中学に入った頃から、義父の暴力は回数も増え、エスカレートしていた。
中2の春のある日。張り詰めていた緊張が頂点に達した。台所で包丁を取り出した。「もう楽になろう」。寝室に足を踏み入れた瞬間、当時7歳の妹が大声で泣いた。偶然か、歩の行動を見ていたのか。はっとわれに返り、猛烈に自分を責めた。手に持っていた包丁をそのまま左腕に突き刺した。
「次はもう、自分で自分を止められないかもしれない」。空腹、孤独、暴力、妹を守りたい思い。頼れる大人がおらず、疲れ切っていた。
学校に行くのもままならず、登校時は自傷行為を隠すため夏でもジャージーを着けた。そんな歩に中2の担任教諭は「今日はどんなか、元気か」と声を掛けてくれた。少し話してみると、「我慢しなくていいんだよ」と泣いてくれた。その時教えてもらった電話番号が歩を救う。
ある夜、義父が妹に暴力を振るっているところを目撃し、ぶち切れた。「ここじゃ妹たちを守れない」。家を逃げ出し、担任に電話した。「助けて」。初めて大人に助けを求めた。
翌日、警察と家に戻り、意を決して母に義父の暴力を明かした。大好きな母への必死のSOSは「そんなわけない。妄想だよ」と返され、届かなかった。見捨てられたんだ−。ショックで、心が混乱した。「この時に母と離れる心の準備ができた気がする」。歩はそう振り返る。
すぐに児童相談所内に一時保護された。畳部屋があり、妹たちと寝転がった。「これで夜眠れる。妹も守れる」と、少し安心した。
半年後、妹たちと同じ児童養護施設への入所が決まった。施設の大人も子どもたちも温かく、学校から帰ると「おかえり」と言ってくれた。今まで大人のいる家に帰ったことがほとんどない歩には新鮮な言葉。「帰ってきていいんだ」。新しい生活が始まった。=敬称略(社会部・宮里美紀)

「女性として生きてたんだね」 母にぶつけた本音、自分でも予想外の言葉が… - 沖縄タイムズ(2018年4月11日)


http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/230587
https://megalodon.jp/2018-0412-0947-30/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/230587

◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第4部 見つけた居場所 歩 一歩ずつ(2)

朝は6時起床、夜は10時消灯。児童養護施設の厳しいルールは窮屈にも感じたが、14歳の玉城歩(あゆみ)にとって普通に学校へ通えることがうれしかった。
中学3年の夏。友人にHIV人権ネットワーク沖縄が取り組む劇の練習見学に誘われた。「舞台とかやってキラキラしてる人とは、住む世界が違うし…」。そう思って最初は断った。だが、人の顔色をうかがう癖がついていて本音をしまい込みがちな歩に、施設の先生が「やりたいことをやって」と背中を押した。
気持ちを表に出すのが苦手だったから、役の感情を考え表現する演劇は良いトレーニングになった。何より、自分が自分らしく笑える居場所。劇団のメンバーがよく話を聞いてくれて「お父さん」のような信頼できる大人にも出会った。
演劇が学外活動として評価され、推薦で志望高校に合格。演劇に、生徒会に、アルバイトに打ち込み、放送部にも所属した。「ほんと楽しすぎた!」と振り返る高校時代。心のどこかで「この幸せな生活がいつなくなるか分からない」と思いながら、“普通の毎日”をかみしめていた。
当時出演したのは、HIVに感染した女子高生がハンセン病回復者の「八重子おばぁ」の生き方に触れる劇。「私が八重子おばぁだったら、人や世の中や自分も恨んで生きていけなかった。でも、おばぁは全部許して生きていこうとしている」−。劇中のせりふの意味を解釈し自分に落とし込む中で、離れて暮らす母への複雑な思いに向き合った。
「こんなつらい思いをするなら産んでほしくなかった」。そう母を否定しようとしたこともある。だが、そんな自分が許せなかった。常に心の底にある、母を好きな気持ちまで否定したくない。「やっぱりお母さんが好き」。これから母とどう一緒に生きていくか、考え続けた。
16歳の誕生日。法的に結婚できて子を産み母親になれると考えた時、母に少し寄り添える気がした。何げなく電話すると、次第に本音があふれ出た。
「お母さんと普通に暮らせなくて苦しかった」「母じゃなくて、一人の女性として生きてたんだね」「でも、お母さんなりに歩たちを守ってたんだよね」。最後に口から出たのは、自分でも予想していなかった言葉。
「お母さん、産んでくれてありがとう」
母は泣きながら受け止めてくれた。「こんなお母さんでごめんね」。今でも連絡を取り合うほど仲良しだ。=敬称略(社会部・宮里美紀)

兄の他界という試練 救ってくれた仲間「笑ってたら泣いてる暇ないだろ」 - 沖縄タイムズ(2018年4月12日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/231483
https://megalodon.jp/2018-0412-0948-37/www.okinawatimes.co.jp/articles/-/231483

◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 見つけた居場所 第4部 歩 一歩ずつ(3)
「大学、行ってみたら? 子ども好きだから保育士とかさ」。児童養護施設で夜の恒例だった、女性指導員とのおしゃべりタイム。当時17歳の玉城歩(あゆみ)(27)は突然の提案に驚いた。進学は施設で前例がなく、高校卒業後は当然働くつもりだった。
「保育士かぁ」。自分の長所を見つけ、挑戦する場を与えて成長させてくれた指導員。「先生たちみたいに働きたい」。高3の春、未来への道筋が見えた。
沖縄キリスト教短期大学保育科を推薦受験し、合格。歩にとって「夢を追いつつ現実も見据えた進学」だった。入学金や学費、引っ越し費用も自前で用意しなければならない。最短で資格を取り働こう−。高校時代、ほぼ毎日アルバイトをしてためたお金は全て、進学費用に充てた。施設を出てしばらくは保証人がいないため部屋を借りられず、友人宅を転々とした。
物おじせず意見を言える女性に憧れ、高校では生徒会長を務めた。「大学はちょっと遊ぼうかな」と考えていたが、先輩の口車に乗せられて学生会長に。後輩を歓迎するキャンプを企画するなど、学生会の仲間と充実したキャンパスライフを送っていた。
だが、20歳を迎えた歩にまた、試練が訪れた。二つ上の兄が自らこの世を去った。
お調子者でいたずら好きの兄だった。たくさん一緒に笑った。小さい頃、男の子にいじめられたら守ってくれた。離れて暮らしても連絡を取り合っていた。
「あの日連絡してたら、何か変わったかな」「もっと一緒にいれば…」。強いショックと喪失感。何をする気も起きない。「心が折れてしまった。向こうの世界に行きたいって思ってた」。そう語りながら涙がこぼれる。
「一人でどんどん暗闇に突き進んでいく」のを引き留めてくれたのは学生会の仲間。一緒に泣き、兄の葬儀も手伝ってくれた。演劇や施設で出会った大人たちも、歩の変化に気付いて毎週電話をかけてきた。「知り合いからおいしいお米もらってさ。そういえば最近何食べてるの? お米持ってこうか?」。さりげなく気遣う一言が心に染みた。
ある日、友人から大学に呼び出された。「歩、パーティーするよ!」。中庭に勢ぞろいした仲間や先生に、ふざけて水を掛けられたり、顔にケーキのクリームを付けられたり。仲間が言った。「なー歩、笑ってたら泣いている暇ないだろ」
「本当に、みんなに支えられて今があるんです」。孤独に奮闘した幼少期。もう一人じゃなかった。=敬称略(社会部・宮里美紀)<<