「妹は私が守る」腕に残る包丁の傷跡 義父の暴力、必死のSOS - 沖縄タイムズ(2018年4月11日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/230085
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◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第4部 見つけた居場所 歩 一歩ずつ(1)
母の恋人が変わるたびに…
午後4時。そろそろ子どもたちの下校時間だ。外から女児の楽しそうな笑い声が近づいてきた。「おかえりー!」。沖縄市のももやま子ども食堂スタッフ、玉城歩(あゆみ)(27)が笑顔で出迎える。
はしゃぐ子どもたちと食卓を囲み、かりんとうを差し出す。「おいしい? もっと食べる?」。小腹を満たした子どもたちは、そのうちけん玉で遊び始めたり、「自分の名前、漢字で書けるわけ」と自慢し始めたり。引っ込み思案な子もいるが、歩は全員に目を配り、一人にさせない。
「あい、何そのスパッツ、おっしゃれー」「久しぶり。ねー髪切ったんだけど、かわいくない?」。隙があればおどける歩の周りには笑顔が広がっていく。
東日本大震災熊本地震での子どもの居場所づくりボランティアを経て、2016年に子ども食堂に就職。週5日、昼から夜9時まで働いている。「子どもが子どもらしく笑える場所にしたい。モットーは全力で一緒に遊ぶことです」。よく通る声でハキハキと話した後、一呼吸間を空けて切り出した。「私はお母さんにそうしてもらえなかったから」。左腕には、包丁で刺した長さ数センチの傷跡がうっすらと残る。
初めて「お父さん」と暮らしたのは幼稚園の時。「知らない人が家にいる」と幼いながらに違和感を覚えた。実の父の記憶はなく、物心ついた時から母はあまり家に帰らなかった。
小学1年の頃には妹が生まれたが、母は変わらず家にいない。歩が小さな手で哺乳瓶を握ってオムツを代え、台に登ってキッチンに立った。主食はケチャップごはん。そもそも、冷蔵庫が真っ暗でまともなおかずがなかった。
母の恋人が変わるたびに知らない町へと引っ越し、通った小学校は5校。どの家も安心できる場所ではなく、2人の兄は次第に家に寄りつかなくなった。
妹がおなかをすかせて泣くのだけは耐えられず、小5の頃には人にお金を借りることを覚えた。近所の名前も知らないおばあちゃんに借りたこともあった。「変な目で見られてるのは分かってたけど、お願いするしかなかった」。極限状態の中で、自尊心がどんどん傷ついていった。
暴力振るう義父「もう楽になろう」と
小5の頃、「次の父」の家へ引っ越すと見知らぬ赤ん坊がいた。何も聞かされないうちに2人目の妹が生まれていた。その翌年には3人目の妹が誕生。「私が守らなきゃ」。玉城歩は3人の命を背負った。
当時の義父は主に母がいない時、歩に暴力を振るった。でも、「私が我慢すればいい」と誰にも言わなかった。一緒に食卓を囲んだことがなくても、2カ月間家に帰ってこなくても母が大好きで、母と妹との生活を守りたかったから。
中学に入った頃から、義父の暴力は回数も増え、エスカレートしていた。
中2の春のある日。張り詰めていた緊張が頂点に達した。台所で包丁を取り出した。「もう楽になろう」。寝室に足を踏み入れた瞬間、当時7歳の妹が大声で泣いた。偶然か、歩の行動を見ていたのか。はっとわれに返り、猛烈に自分を責めた。手に持っていた包丁をそのまま左腕に突き刺した。
「次はもう、自分で自分を止められないかもしれない」。空腹、孤独、暴力、妹を守りたい思い。頼れる大人がおらず、疲れ切っていた。
学校に行くのもままならず、登校時は自傷行為を隠すため夏でもジャージーを着けた。そんな歩に中2の担任教諭は「今日はどんなか、元気か」と声を掛けてくれた。少し話してみると、「我慢しなくていいんだよ」と泣いてくれた。その時教えてもらった電話番号が歩を救う。
ある夜、義父が妹に暴力を振るっているところを目撃し、ぶち切れた。「ここじゃ妹たちを守れない」。家を逃げ出し、担任に電話した。「助けて」。初めて大人に助けを求めた。
翌日、警察と家に戻り、意を決して母に義父の暴力を明かした。大好きな母への必死のSOSは「そんなわけない。妄想だよ」と返され、届かなかった。見捨てられたんだ−。ショックで、心が混乱した。「この時に母と離れる心の準備ができた気がする」。歩はそう振り返る。
すぐに児童相談所内に一時保護された。畳部屋があり、妹たちと寝転がった。「これで夜眠れる。妹も守れる」と、少し安心した。
半年後、妹たちと同じ児童養護施設への入所が決まった。施設の大人も子どもたちも温かく、学校から帰ると「おかえり」と言ってくれた。今まで大人のいる家に帰ったことがほとんどない歩には新鮮な言葉。「帰ってきていいんだ」。新しい生活が始まった。=敬称略(社会部・宮里美紀)