原発検査を強化 「抜き打ち」に 規制委、法改正へ - 東京新聞(2016年4月26日)

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原子力規制委員会は二十五日、臨時会合を開き、原発の検査制度を抜本的に見直し、電力会社に事前通告しない「抜き打ち」検査や、検査官が独自の判断で設備やデータを確認できる仕組みを導入する方針を決めた。来春に原子炉等規制法を改正し、二〇二〇年からの本格運用を目指す。
今年一月に来日した国際原子力機関IAEA)の専門家チームが、日本の原子力規制について国際基準に比べて妥当かを調査。規制委は検査制度の見直しなどを提言した専門家チームの最終報告書をこの日の会合で示し、対応を公表した。
法改正では、これまで四半期ごとに約二週間の日程で実施していた検査を、日常的に実施するよう改める。これまでも検査官が法的裏付けのない任意調査の形で日常的に原発に入ることはできたが、電力会社に拒否されれば設備やデータの確認ができなかった。
また従来は検査の重点項目などを事前に知らせていたが、見直す。
原発の運用ルールに定められた項目を電力会社が順守しているか確認する従来の「チェックリスト」方式も改め、検査官自らの判断で確認項目を決めたり、電力会社に不適切な対応があればその場で改善を命じたりすることができるよう裁量を拡大する。

<ハンセン病>元患者ら「身内に甘い判断」特別法廷報告書に - 毎日新聞(2016年4月25日)

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「身内に甘い判断だ」。最高裁が25日公表したハンセン病患者の特別法廷の調査報告書が「違憲」と明記しなかったことに対し、元患者たちは不満をあらわにした。熊本県合志(こうし)市の国立ハンセン病療養所菊池恵楓(けいふう)園で25日、記者会見した入所者自治会の志村康会長(83)は「最高裁が司法手続きの誤りを認めて反省するのは異例だが、違憲性を認めなければ謝罪にならない」と歯切れの悪い報告書に異議を示した。
記者会見には入所者自治会の長州次郎さん(88)=仮名=の姿もあった。長州さんは、自分の目で見た特別法廷の姿を現地調査に訪れた最高裁有識者委員会のヒアリングで語ってきた。「遠い遠い東京から届いたファクスの報告書は胸に響かなかった。こちらの真意が伝わっていない」と残念がる。療養所の正門に開廷を知らせる貼り紙があったとされる報告書の内容には、会見に出た元患者4人は「誰も見たことも聞いたこともない」と口をそろえた。
「黒白2色の“くじら幕”で建物が覆われていた」。長州さんは元患者の男性が特別法廷で無実を訴えながら殺人罪などで死刑になった「菊池事件」の初公判時の様子が目に焼き付いている。1951年、入所者自治会の事務所の畳部屋で、元患者の裁判が開かれていると聞いた。背丈を超える幕から裁判の様子をのぞこうと思ったが、同園の職員によって監禁室へ入らされる懲罰が怖くてできなかった。「中で何をしているかわからんかった。裁判が公開されていたとは思えない」
1年後には舞台や観覧席を備えた園内の公会堂の裁判をのぞいたが、同じように入り口は幕で覆われ、告知の貼り紙を見た記憶はない。感染を恐れた裁判関係者が証拠物を火ばしで扱ったという証言も耳にし、「国が助長した差別と偏見に最高裁ですら毒されていたんだ」。そう考えてきた。
報告書は謝罪はしても「違憲」の明記を避けたように思える。「設置手続きに問題があったなら、特別法廷での判決は一つ一つ再検証するのが筋じゃないか」。米寿を迎えた長州さんの語気が一層強くなった。
弁護団らは27日午後4時に最高裁で経緯や説明を受けるという。【柿崎誠】

弁護団長「憲法違反に実質的に触れている点は評価できる」
特別法廷の検証を申し入れた菊池事件再審弁護団長の徳田靖之弁護士は、最高裁の報告書について「法の下の平等を定めた憲法14条違反に実質的に触れている点は評価できる」と話した。
報告書は、ハンセン病国賠訴訟の熊本地裁判決を前提に、遅くとも60年以降の違憲の疑いを認めた。徳田弁護士は「60年以前も特別法廷が差別的だったことは間違いない。60年以降に限定したのは菊池事件の再審に影響することを恐れたのではないか」と指摘した。
弁護団は2012年、検察官が自ら菊池事件の再審請求をするよう検事総長に求める要請書を熊本地検に提出している。徳田弁護士らは近く同地検を訪れ、最高裁の検証結果を尊重し、再審請求すべきだと伝える方針だ。
また、最高裁の裁判官会議が48年に、ハンセン病患者の刑事事件は一律に特別法廷にする前提で事務総局に指定手続きを一任したことも報告書で判明した。徳田弁護士は「事務総局が謝罪をしているが、裁判官会議こそ責任を問われるべきだ」と批判。27日に最高裁を訪れ、検証の継続を求める。【江刺正嘉】

◇「違憲の疑いがある」かなり重い
ハンセン病問題の解決をライフワークにしている江田五月参院議長の話 かなり時間がかかってしまったが、裁判官会議の談話で「心からおわびします」と明記したことは評価したい。有識者委員会が「違憲の疑いがある」と指摘した点を、報告書が「聞き置いた」というような扱いにしている点は残念だが、事務総長が記者会見で「憲法違反の疑いがある」と発言したのであれば、かなり重い。一方で、元患者の家族たちは今年になって熊本地裁に国賠訴訟を起こしている。療養所を負の遺産として後世に残す将来構想もまだ完全ではなく、課題はなお残されている。裁判所には有識者委員会の再発防止に向けた提言をぜひ実行してほしい。

◇裁判官は現場を見て、人権感覚を鋭く
裁判官や法務省人権擁護局長としてハンセン病問題に向き合った吉戒(よしかい)修一弁護士の話 もう少し早くできなかったかという思いはあるが、最高裁が過去の制度運用を検証し、法令違反を認めて謝罪したのは画期的なことだ。療養所は市街地から離れているうえ高い塀で囲まれており、一般の傍聴は難しい。だが、形式的にでも傍聴機会を提供していたならば、憲法違反と断定するのは難しいだろう。東京地裁の裁判長としてハンセン病国賠訴訟を担当した。原告が法廷で本名を名乗らず「原告番号で呼んでください」と言ったことに衝撃を受けた。書面だけで現実を知るには限界がある。裁判官は現場を見て、人権感覚を鋭くしなければならない。

ハンセン病隔離法廷「差別的で違法」 最高裁が謝罪、違憲性は認めず - 東京新聞(2016年4月26日)

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ハンセン病患者の裁判を隔離先の療養所などに設けた「特別法廷」で開いていた問題で、最高裁の今崎幸彦事務総長は二十五日、調査報告書を公表し、一律に設置を許可していた誤りを認めた上で「患者の人格と尊厳を傷つけたことを深く反省し、おわびする」と謝罪した。だが、「法の下の平等」や「裁判の公開原則」を定めた憲法に違反していたとは認めず、特別法廷で裁かれたハンセン病患者の個別事件の審理の是非にも言及しなかった。
最高裁が過去の司法行政の誤りを認めて謝罪するのは極めて異例。
報告書によると、ハンセン病患者の特別法廷は一九四八〜七二年、十四都府県のハンセン病療養所や刑務所など二十一カ所で九十五件設置された。うち九十四件がハンセン病患者が被告となった刑事裁判。許可率は、結核など他の病気の場合が15%だったが、ハンセン病は99%に達した。
報告書は「最高裁事務総局は、当事者のハンセン病の病状や伝染の可能性の有無などについて科学的な知見を具体的に検討せず、特別法廷の設置を許可していた」と指摘。二〇〇一年の熊本地裁判決が「隔離の必要性が失われた」と判断した一九六〇年以降の二十七件について、報告書は「合理性を欠く差別的な取り扱いだった疑いが強く、裁判所法に違反していた」と結論づけた。
憲法の定める裁判の公開原則については、開廷場所の正門などに法廷を開く旨の告示があったことや、療養所入所者らが特別法廷を傍聴した事例が確認できたことを理由に「公開されていなかったとは認定できない」と違憲性を否定した。
◆問題を直視せず
<解説> 最高裁の調査報告書は、ハンセン病患者の特別法廷について「差別的だった」と謝罪したが、憲法に違反したとは明記しなかった。問題を直視しておらず、これでは司法による総括とはいえない。
二〇〇一年の熊本地裁が「一九六〇年以降の隔離政策は違憲だった」と判断してから、十五年近くが経過している。今回の調査も、元患者らの団体の要請で二〇一四年五月から始まっており、最高裁はようやく重い腰を上げた形だった。
調査報告書は、特別法廷でどんな審理が行われたかを調査の対象にしなかった。過去の裁判に関し最高裁が何らかの言及をした場合、個別の事件の判決の正当性に疑問符が付き、「裁判官の独立」に抵触する可能性を恐れたからだ。だが、これでは「法の下の平等」に照らし、特別法廷での裁判が公平に行われたか、裁判官らに偏見や差別はなかったのかは闇のままだ。
最高裁憲法違反だったと明確に宣言した上で、各事件の裁判の審理の妥当性についても検証すべきだった。それこそが、長年の隔離政策の下、差別や偏見に苦しみ続けた元患者らに対する真の意味での謝罪なのではないか。(清水祐樹)
<特別法廷> 裁判所法69条2項に基づき、災害で裁判所の庁舎が使えなかったり、被告が病気の場合など、地裁などからの申請を受けて最高裁が必要と認めれば、裁判所外の施設で開かれる法廷。最高裁によると、1948〜90年に設置を求める申請が180件あり、113件が認められた。うち、ハンセン病を理由とする特別法廷は95件設置された。

ハンセン病「特別法廷」報告書 「謝罪にもなってない」語り部の平沢さん怒り:東京 - 東京新聞(2016年4月26日)

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「これでは謝罪にもなってない」。東村山市にあるハンセン病の国立療養所多磨全生園の元自治会長、平沢保治さん(89)は、かつて患者の裁判を行った「特別法廷」について二十五日、最高裁が出した調査報告書に怒りをあらわにした。  (石原真樹)
平沢さんは国立ハンセン病資料館の語り部。二十二日に突然訪れた最高裁の寺田逸郎長官を案内した。
報告書公表で最高裁は謝罪の意を示したが、法廷が非公開だったとは言えないと違憲性を認めなかった。療養所正門に「告示」を出したというのが理由だ。
平沢さんは「火事が起きても消防車が療養所に入らなかった時代、告示を貼っても外の人は近づかない。入所者が見に行けば、逃亡だとされる。何が『公開』か。これが憲法違反でないとしたら、憲法の下で何でもできる。何の検証にもなっていない」と話した。
寺田長官は、反抗的な態度の入所者を監禁した栗生楽泉園(群馬県草津町)の重監房の展示も資料館で見た。「狭くて暗いですね」などと話し、一時間かけて館を見学したという。
平沢さんは「語り部は歴史を伝えるのが役目」と、特別法廷について意見を交わさなかったが、熱心に展示を見る姿に好感が持てたという。「だからこそ余計に許せない。あれはアリバイ作りだったのか」と声を荒らげた。
全生園に本部のある全国ハンセン病療養所入所者協議会の藤崎陸安事務局長(73)も「報告書は到底受け入れられない」。「法廷の設置をいとも簡単に事務方に投げた背景に何があったのかに踏み込んでない」と指摘した。

ハンセン病 遅すぎた司法の反省 - 東京新聞(2016年4月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016042602000135.html
http://megalodon.jp/2016-0426-0921-51/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016042602000135.html

「人格と尊厳を傷つけ、お詫(わ)び申し上げる」。かつてハンセン病患者の裁判を隔離先の療養所などの「特別法廷」で開いた問題で、最高裁が謝罪した。あまりに遅い司法の反省と言わざるを得ない。
ハンセン病の特別法廷が開かれたのは一九七二年までだ。九十五件ある。憲法は裁判は公開の法廷で開くと定めているが、裁判所法には「必要と認める時は裁判所以外で法廷を開ける」との定めもある。この規定が使われた。
感染力が極めて弱く、完治できる病気だが、誤解もあり、医学的根拠もないまま、隔離政策で患者は療養所に収容されていた。裁判も同様に特別法廷で“隔離”されていたわけだ。
感染を恐れた裁判官や検察官、弁護士が予防服を着て、証拠を火箸で扱うという異様な光景もあったという。
問題なのは、殺人罪に問われた元患者が無実を訴えながら特別法廷で死刑を宣告され、のちに執行された事件も存在することだ。一般人の傍聴が極めて困難な、いわば「非公開」の状態で進行したと指摘されている。公開の原則が守られなかったのなら、手続きとして正当かどうか疑わしい。
今回、最高裁は特別法廷について、「(一般人の)訪問が事実上不可能な場所であったとまでは断じがたい」としている。だが、本当にそうか。ハンセン病の療養所は隔離と差別の場だった。
裁判は一般人に実質的に公開されていたのだろうか。有識者の意見は「公開原則を満たしていたかどうか、違憲の疑いは、ぬぐいきれない」と記している。
公開の原則、平等の原則が貫かれていたか。最高裁には今後も徹底的な検証を求めたい。
つまり、最高裁が誤りを認めているのは、六〇年以降も特別法廷を開き続けていたことだ。その時点では既に確実に治癒する病気であったし、国内外で強制隔離の必要性が否定されていた。だから、裁判所法に反するとしたのだ。
だが六〇年以前の特別法廷に問題はなかったのだろうか。もっと早い時点で特別法廷の問題に気づけなかっただろうか。それが悔やまれる。何より謝罪まで時間がかかりすぎている。
二〇〇一年には熊本地裁ハンセン病の強制隔離政策を違憲と判断し、首相や衆参両院も反省と責任を認めた。最高裁もその時点で調査を開始できたはずだ。司法は人権の砦(とりで)でなければならない。あらためて、自覚を促したい。

(筆洗)「特別法廷」では証拠品を手ではなく火箸で扱ったと聞く - 東京新聞(2016年4月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016042602000133.html
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カナダの天才ピアニスト、グレン・グールド(一九三二〜八二年)は演奏技術に対する高い評価の一方でちょっと風変わりな人物だったそうだ。特に有名なのは電話の逸話。
毎晩、午後十一時になると友人たちに電話をかける。あいさつをすることもなく、自分の考えていることを一方的に話し始め、時にそれは何時間も続く。本を読み聞かせる。長い曲をまるまる口ずさむ。深夜の「演奏」に友人らはさぞや閉口したことだろう。
電話の虜(とりこ)だったグールドも電話を切ることもあった。話し相手がクシャミをした場合だという。健康を異常なほどに気にし、電話回線を通じて風邪がうつるのではないかと恐れていた。天才も愚かな思い込みと手を切れなかったか。
比較にならぬほど罪深き思い込みと過ちに対する一つのけじめとしたい今回の判断である。七二年まで、ハンセン病患者の裁判を隔離した「特別法廷」で審理していた問題に対し最高裁は差別を助長し、人格を傷つけたとして謝罪した。
感染力が弱く、完治できる病への無理解によって差別を許さぬはずの裁判所が差別に味方し、人権に背を向けていた。差別された側の孤独と絶望の深さは想像もできまい。
「特別法廷」では証拠品を手ではなく火箸で扱ったと聞く。偏見という長い、長い箸である。時間はかかったが、ポキリと折れたと信じたい。二度と使えぬように。