(筆洗)「特別法廷」では証拠品を手ではなく火箸で扱ったと聞く - 東京新聞(2016年4月26日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016042602000133.html
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カナダの天才ピアニスト、グレン・グールド(一九三二〜八二年)は演奏技術に対する高い評価の一方でちょっと風変わりな人物だったそうだ。特に有名なのは電話の逸話。
毎晩、午後十一時になると友人たちに電話をかける。あいさつをすることもなく、自分の考えていることを一方的に話し始め、時にそれは何時間も続く。本を読み聞かせる。長い曲をまるまる口ずさむ。深夜の「演奏」に友人らはさぞや閉口したことだろう。
電話の虜(とりこ)だったグールドも電話を切ることもあった。話し相手がクシャミをした場合だという。健康を異常なほどに気にし、電話回線を通じて風邪がうつるのではないかと恐れていた。天才も愚かな思い込みと手を切れなかったか。
比較にならぬほど罪深き思い込みと過ちに対する一つのけじめとしたい今回の判断である。七二年まで、ハンセン病患者の裁判を隔離した「特別法廷」で審理していた問題に対し最高裁は差別を助長し、人格を傷つけたとして謝罪した。
感染力が弱く、完治できる病への無理解によって差別を許さぬはずの裁判所が差別に味方し、人権に背を向けていた。差別された側の孤独と絶望の深さは想像もできまい。
「特別法廷」では証拠品を手ではなく火箸で扱ったと聞く。偏見という長い、長い箸である。時間はかかったが、ポキリと折れたと信じたい。二度と使えぬように。