(余録)「倉の内の財は朽つること有り… - 毎日新聞(2021年1月29日)

https://mainichi.jp/articles/20210129/ddm/001/070/105000c

「倉の内の財は朽(く)つること有り 身の内の財は朽つること無し」。身についた知や徳、それらの教育の大切さを説いているのは、江戸時代の寺子屋で教科書として用いられた「実語(じつご)教(きょう)」という本である。
「山高きが故に貴からず、樹(き)有るを以(もっ)て貴しとす」に始まるこの書物は平安時代末期に書かれたという。江戸時代に最も普及したが、平安から明治まで子どもを育ててきた教科書の極め付きといえよう。昨今の教科書とは年季が違う。
「他人の愁(うれ)いを見ては即(すなわ)ち自ら共に患(わずら)うべし」もその一節。また知識学習を説く部分は福沢諭吉(ふくざわ・ゆきち)の「学問のすゝめ」に引用され、近代教育へのバトンとなった。この実語教をはじめ、古代から現代へ続く「教科書」の姿が変わりそうだ。
紙の本だった教科書のデジタル化である。行政のデジタル化を掲げる現政権の下、文部科学省は来年度から小中学校のデジタル教科書の本格的試験活用に入る。授業での従来の使用制限も撤廃され、学習効果などが検証されるという。
文字の拡大や、音声による読み上げなどができるタブレット端末の教科書には多彩な活用法があろう。ただ海外での先行事例では学習効果への疑問も出てきている。ここは紙の教科書と併用しつつその利害得失を見極めるべきだろう。
実語教を引いたように、どちらかといえば古い知恵を宿して手あかに汚れる本に親近感のある小欄だ。デジタル化の長所は認めるが、現今最良の「身の内の財」を次世代に引き継ぐ教育の原則は忘れないでほしい。