(余録)「近代ギター音楽の父」と呼ばれる… - 毎日新聞(2020年9月6日)

https://mainichi.jp/articles/20200906/ddm/001/070/062000c

「近代ギター音楽の父」と呼ばれるスペインの作曲家フランシスコ・タレガ(1852~1909年)に「ラグリマ」という小品がある。スペイン語で「涙」の意だ。4歳の愛娘を病で失った心情をうたったという説もある。
広島市のささぐちともこさん(59)の児童小説「ラグリマが聞こえる」(汐文社)は実在の被爆ギターを題材にした物語だ。ふとしたきっかけでラグリマの曲を耳にした小学5年生の少女が、老人の弾く古びたクラシックギターのなぞを追う。
モデルとなったのは、広島県海田町井上進さん(65)が亡父、哲夫さんから受け継いだギターだ。爆心地から約3キロの地点にあった哲夫さんの生家の屋根は爆風で吹き飛んだ。ギターは熱で塗装が溶け、板が反った。
原爆投下前日まで哲夫さんはギターをつまびいていたという。ささぐちさんの母親は、3日後に焼け野原を走った路面電車で車掌を務めた。小説では老人が当時を回想し、被爆後の惨状が記録に即して語られる。ラグリマはヒロシマの涙でもある。
戦後、井上さん宅の押し入れに眠っていたギターは十数年前、地元楽器店などのはからいで修理され、素朴な音色を取り戻した。以来、広島在住のギタリストらによって平和コンサートなどで演奏されてきた。
原爆投下から75年の夏が過ぎた。「芸術の秋」を迎えるが、コロナ禍で演奏会もままならない。「被爆ギターを多くの人に聞いてもらいたい」。ささぐちさんはインターネット上でお披露目する機会を模索している。