週のはじめに考える 権力は「無罪」なのか - 東京新聞(2020年3月1日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2020030102000157.html
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「権力はみずからの嘘(うそ)に囚(とら)われており、そのため、すべてを偽造しなければならない」
はっとします。東欧・チェコの大統領だったハベルの言葉です。「ビロード革命」と呼ばれる、社会主義体制から民主化への転換で中心となった人物です。チェコ文学者の阿部賢一東京大准教授がNHK番組「100分de名著『力なき者たちの力』」で紹介しました。文章はこう続きます。
<過去を偽造し、未来を偽造する。統計資料を偽造する。(中略)人権を尊重していると偽る。誰も迫害していないと偽る。何も恐れていないと偽る。何も偽っていないと偽る。(中略)それゆえ、嘘の中で生きる羽目になる>

◆嘘の中で生きる羽目に
一党独裁体制を続けていた当時の権力の姿です。経済は停滞し、言論抑圧の中で国民には無気力、無関心が蔓延(まんえん)したそうです。ハベル自身、弾圧を受け、投獄された経験もあります。
「権力はアプリオリ(先天的)に無罪である」という言葉もハベルにあります。一九八四年執筆の「政治と良心」に出ています。権力は何をしても罪に問われない-旧東欧の悲劇的な状態を指すのと同時に権力の一般論でもあるでしょう。不条理劇の劇作家でもあったハベルは鋭く権力の核心を言い当てていました。
「嘘の中で生きる羽目になる」とは、日本の政治状況とそっくりです。東京高検検事長の定年延長問題は典型例です。検察官の定年は検察庁法が適用されるのに、国家公務員法の勤務延長の規定を用いる無理筋です。
人事院が八一年に「検察官には国家公務員法の定年規定は適用されない」と答弁していたことが判明すると首相は唐突に「解釈を変更することにした」と。人事院は「八一年解釈は続いている」と答弁していたため、「言い間違え」と苦し紛れの状態になりました。

◆学者は「違法」と指摘
法相も解釈変更の証明に追われます。日付などがない文書を国会に提出したり、揚げ句の果てに「口頭決裁だった」とは。国民には政権が嘘を重ねているように映っています。
それでも「解釈変更だ」路線で突っ切るつもりでしょう。首相が「権力は先天的に無罪である」ように振る舞っているためです。
ハベルの言葉はベルリンの壁崩壊前です。全体主義的な体制下では、権力がすべてを抑えて、自らの不届きをただす存在を許しません。嘘をつこうが罪に問われません。権力は永久にその不正をとがめられることはないのです。
しかし、三権分立が確立した社会では、行政府の長といえど司法のチェックは受けます。検事長人事の問題は司法分野に関係します。検察は公訴を提起できる準司法機関だからです。権力が都合のいい人事でいずれ検事総長にしたら…。政治から独立した検察組織が崩れ、巨悪は立件されないでしょう。闇から闇です。
憲法と同じ四七年に施行された検察庁法が厳格に定年を定めたのは理由があります。「検事の権限が強大になり過ぎないか」と懸念し、検察官の身分保障を弱める意図がありました。当時の臨時法制調査会の記録にあります。
憲法学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」では、法学的な問題点を突きました。

(1)一般法と特別法の間に齟齬(そご)・抵触があるときは特別法が優越する。つまり国家公務員法は一般法で検察庁法は特別法だから、定年延長はできない。

(2)検察官の人事ルールは国政上の最重要事項の一つで、国会の審議・決定を経ずに単なる閣議決定で決められない。

(3)定年延長には「十分な理由」が必要なうえ、人事院規則は認められる場合を限定列挙している。今回の検事長のケースはどれにも当てはまらない。

結論は「ときの政権の都合で法解釈を自由に変更しては、『法の支配』が根底から揺るがされる」「今回の閣議決定人事院規則、国家公務員法に違反している疑いが濃い」-学者らの指摘を政権は重く受け止めるべきです。

◆多数派は万能でない
確かに民主主義は最終的には多数派の意見がものごとを決める仕組みです。その一方で、立憲主義とは多数派でも覆せない原理を憲法に書き込み、権力を縛っています。例えば基本的人権国民主権を多数派が奪おうとしても、奪うことができないように…。
つまり民主的な手続きで選ばれた権力であっても、何でもできるわけではありません。万能でありえません。かつ法は何ができて何ができないか、自明でなければ意味をなしません。
「できないこと」を一内閣の一存で「できる」に転換はできません。それを許せば「権力は無罪」どころか「有罪」になります。