https://mainichi.jp/articles/20190903/ddm/001/070/080000c
http://archive.today/2019.09.03-001956/https://mainichi.jp/articles/20190903/ddm/001/070/080000c
ひところのアメリカの心理学界ではずいぶんむちゃな実験もしている。罰は学習の効果を上げるかどうかを調べるという実験で、教師役として集めた人に生徒役の座る椅子に罰として電流を流させるものもあった。
実験で分かったのは体罰の効果ではない。人は権威ある命令があれば他人にどこまでも残虐になることだった。教師役の多くは、苦しむ生徒役を目の前にしながら罰電流を死を招く電圧に上げるよう命じる監督者の指示に従ったのだ。
体罰の教育効果という実験目的や電流を通す話は全部うそ、生徒役の苦悶(くもん)も演技だった。権威者が命令すれば普通の人も残虐になる証拠として有名になった実験だが、さすがに実験そのものの非倫理性も問われるはめになったという。
むごい児童虐待を「しつけ」と言い張る大人の話を聞くたびに、この実験を思い出す。大方は単なる他人への言い訳だろうが、中にはしつけという大義名分によって自分の心に潜む攻撃性や残虐性の歯止めを取り払う人たちもいよう。
この場合はどうだったのか分からない。鹿児島県出水(いずみ)市の自宅風呂場で水死した4歳の女児への暴行容疑で男が逮捕された。当人は調べに対し、暴行したことを認めているという。女児には全身に殴られたような痕がいくつもあった。
以前から女児には虐待の兆候がみられ、警察は児童相談所に通告したが一時保護はされなかった。またまた大人の残虐さから幼(おさな)子(ご)を守れなかった痛恨の一部始(いちぶし)終(じゅう)を検証せねばならないのがやりきれない。