<金口木舌>昭和の傷 - 琉球新報(2019年12月30日)

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この1年、幾人かの訃報に接した。何度か告別式に赴き、故人の冥福を祈った。何本かの訃報記事を書いた。大みそかを前にして亡き人をしのび、寂しさをかみしめている

▼本紙に載った「墓碑銘」に知人や取材でお世話になった方々の名前を見つけた。杯を交わした人がいる。厳しい言葉をぶつけ合った人もいる。今となれば柔和な笑顔を懐かしむばかりだ
▼「昭和が遠くなった」と実感する。この時代に生まれ、青春期を送った当方は少々感傷的になる。最近、「昭和歌謡」を好んで聞いている。この気持ち、平成生まれの若い社会人は笑うだろうか
▼戦争の記憶が遠のいている。戦争体験者の減少を止めることはできない。「戦争中の話をもっと早く聞いておくべきだった」と後悔することも多い。地上戦を体験した沖縄でなすべきことを考える
▼自身の沖縄戦体験を語れるのは85歳前後が中心となった。そんな体験者と会うたびに、10歳前後に遭遇した地上戦で受けた心の傷は簡単には消えないということに気付く。むしろ、戦争の記憶が遠のくにつれ、心の傷は一層深くなっているようにも思う
▼今年は「平成」という時代を送った年でもあった。天皇の代替わりで「新時代到来」と祝う風潮と距離を置きながら、昭和の戦争が残した心の傷を見つめ続けたい。墓碑銘に載った故人の中にもそう願う人がいるだろう。