日本と韓国の対立 「最悪」を抜け出すために - 朝日新聞(2019年12月25日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S14306962.html
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「この重要な関係をぜひ改善したい」(安倍首相)
「決して遠ざかることができない仲」(文在寅〈ムンジェイン〉大統領)
1年3カ月ぶりの公式会談は、そんなあいさつで始まった。日本と韓国が中国の成都で開いた首脳会談である。
ふだんならただの外交辞令だっただろう。こんなやりとりでさえ両国メディアの耳目を集めたのは、それだけ日韓関係がすさんだことの裏返しだ。

■不毛な応酬の果てに

国交正常化以降で最悪――。ことし何度指摘されたことか。今回の会談で2人が本当に危機意識を共有したのならば、未来への責任を果たすべきだ。
互いに大幅な譲歩を伴う政治決断なしに、事態は動かない。
歴史問題で両政府が反目することは過去にもあったが、今回は規模が違う。政府の対抗措置に連動して、経済、自治体交流の停滞へと連鎖が広がった。
発端は、徴用工問題をめぐり日本企業に賠償を命じた昨年の韓国の判決である。問題は解決済みとする日本政府は今夏、貿易分野で報復措置をとった。
これを受け、韓国側は軍事情報に関する日本との協定の破棄を表明した。この安全保障問題は撤回されたものの、韓国社会の反発は収まっていない。
これまでのところ深刻な経済ダメージが取りざたされるのは日本側だ。これまで中国に次ぐ2番目の規模だった韓国人観光客の足が遠のいた。
日韓の間に位置する長崎・対馬の観光業者は「経営的に限界という声が少なくない」(長崎県対馬振興局)という。
地方自治体の多くが長年、交流事業を続けてきたが、夏以降は韓国から中止や延期を申し出るケースが相次いだ。
韓国の輸入ビールで最も人気のあった日本産は統計上、日本からの輸出がゼロに。日本車の販売も大きく落ち込んだ。
さほど損害が伝えられない韓国側でも、多くの業者や関係者が困難な状況にあるはずだ。
政府間にはそれぞれ譲れぬ原則があるにせよ、国民の経済的な実利や、市民同士のふれあいの機会を互いに損ねる現状を放置してよいわけがない。

■柔軟性欠く両指導者

両政府とも、相手の政権が代わらない限り、解決は難しいという突き放し感が漂う。
だが、それは両首脳が偏った隣国観に固執するあまり、柔軟性を欠く外交をしかけ、ナショナリズムをあおる結果になっているからだろう。
文政権は自国の保守派を批判する材料として、植民統治下の日本協力者である「親日派」をしつこくあげつらってきた。
朴槿恵(パククネ)・前政権が結んだ慰安婦問題での合意を事実上破棄したのは、自らが掲げる「被害者中心主義」に反するからだ、としている。だが、その代替策を示しているわけではない。
徴用工問題でも、有効な方策を示していない。韓国の国会議長は一つの提案を示したが、被害者や支援団体に反発があり、文政権は静観している。
事態の打開には、文政権の能動的な行動が必要だ。懸案を棚上げし、救済を怠ることは「被害者中心」にも反し、解決は遠のくばかりである。
一方、安倍首相は、朝鮮半島に残る歴史的な感情のしこりに無神経な態度が相変わらずだ。
先の臨時国会の所信表明で、100年前のパリ講和会議で日本が人種差別撤廃を提案したことを誇らしげに語った。だが、当時の日本が朝鮮の植民地支配で差別を批判されていたことへの言及はなかった。
戦後70年を機に出した「安倍談話」でも、朝鮮支配には触れなかった。韓国市民が「ノー安倍」と呼びかけるのは、そんな歴史観が影響している。

■交流の裾野を広く

安倍氏はきのう、「法的基盤を守るきっかけを韓国側が作るよう求める」と強調した。日本側は、徴用工問題での判決を国際法違反と主張しているが、疑問視する日本の法学者もいる。不幸な過去をめぐる民事訴訟に硬直姿勢をとり続けるだけでは互いの主張は交わらない。
日韓の経済人らの間では、政治に振り回されない土台作りを唱える声が強まっている。
両国企業による海外での共同事業は増えている。例えば2011年に始まったインドネシアでの液化天然ガス開発は、順調な共同操業を続けている。
日韓経済協会の是永和夫専務理事は「ともに資源の乏しい国同士。政治の対立がどうあれ、共益を模索する」と話す。
真の強靱(きょうじん)な二国間関係は、短期的な思惑で揺れがちな政治の関係に支配されず、市民や財界などの自律した結びつきに支えられている。
この関係悪化の中でも、一部の地方のお祭りや学校の行事で日韓交流は脈々と続けられた。日韓経済協会も「持続可能な関係づくり」をめざすという。
来年からは一歩ずつ、そうした努力の裾野が広がるよう望みたい。「最悪」の汚名は今年で終わりにすべきである。