嫌韓とメディア 反感あおる風潮を憂う - 朝日新聞(2019年9月16日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S14179020.html
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日韓関係をめぐる評論活動が活発になっている。摩擦が端緒とはいえ、近隣外交の論議が高まるのは結構なことだ。
ただ、最近顕著になっている論じ方には憂慮すべき点が少なくない。とりわけ、「嫌韓」と呼ばれる韓国への反感をあおるような一部メディアの風潮は、いかがなものか。
日本と朝鮮半島との交わりには長く深い歴史がある。文明の伝播(でんぱ)や交易などで双方が利を得た時があれば、日本が植民地支配をした過去もあった。
争いは双方の国際的な立場を弱め、協調すれば共栄の可能性が高まるのは必然の理である。
ところが一部の論評では、この隣国を感情的に遠ざけるような言葉が多用されている。
たとえば、「憤激と裏切りの朝鮮半島/日韓断絶」(文芸春秋10月号)、「202X年韓国消滅へのカウントダウン」(WiLL4月号別冊)など。
小学館が発行する週刊ポストは今月、「厄介な隣人にサヨウナラ/韓国なんて要らない」と題した特集を組んだ。
関係が悪化するなか、あるべき外交をさまざまな角度から提起するのはメディアの役割だ。しかし最初から相手国への非難を意図するものでは、建設的な議論につながらない。
週刊ポストは「怒りを抑えられない『韓国人という病理』」との記事も載せた。当該論文を紹介しているとはいえ、韓国人という括(くく)りで「病理」を論じるのは民族差別というべきだ。
テレビでも、否定的な論調が目立つ。TBS系のCBCテレビの情報番組では先月、韓国で日本人女性が髪をつかまれたとされる件にからみ、出演者が「日本男子も韓国女性が入ってきたら暴行しないといかん」と発言し、番組が謝罪した。
もし出版物の販売促進や視聴率狙いで留飲を下げる論旨に走るのならば、「公器」としての矜持(きょうじ)が疑われる。
政治の責任もむろん重い。両政府とも相手を責めるのみで、問題があっても善隣関係をめざす原則は語らない。国内世論の歓心をかいたい政権とメディアの追随が、重奏音となって世論を駆り立てるのは危うい。
戦前戦中、朝日新聞はじめ各言論機関が国策に沿い、米英などへの敵対心と中国・朝鮮などへの蔑視を国民に植え付けた。その過ちを繰り返さないためにも、政権との距離感を保ち、冷静な外交論議を促す役割がメディアに求められている。
自国であれ他国であれ、政治や社会の動きについて批判すべき点を批判するのは当然だ。ただ論議の礎には、あらゆる差別を排し、健全な対外関係を築く視座を揺るがせてはなるまい。