終戦の日の言葉から 令和も不戦受け継いで - 東京新聞(2019年8月16日)

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きのうは令和最初の「終戦の日」。先の大戦の反省の上に立つ不戦の誓いは時代を超えて、昭和から平成、そして令和へと受け継がねばならない。
一九三七(昭和十二)年の日中戦争から始まった長い戦争の終結を告げる昭和天皇の「玉音放送」がラジオから流れたのは四五(同二十)年八月十五日の正午。あの日から七十四年が過ぎた。
東京の日本武道館で行われた政府主催「全国戦没者追悼式」への参列予定者は約五千四百人だったが、戦後生まれが初めて三割を超えた。時代は流れ、戦争体験世代は少なくなりつつある。

◆過ち繰り返さぬため
過去に起きた戦争だが、そこから教訓を学び取り、次世代に引き継いでいかねば、再び同じ過ちを繰り返しかねない。
戦争の犠牲者は日中戦争後に戦死した軍人・軍属二百三十万人と米軍による空襲や広島、長崎への原爆投下、沖縄戦で亡くなった民間人の合わせて約三百十万人に上る。しかし、これは日本人だけの数にすぎない。日本が侵略した近隣諸国や交戦国の犠牲者を加えれば、その数は膨れ上がる。
戦没者を追悼し平和を祈念する日」とされる終戦の日に、戦没者を悼むと同時に、過去の戦争を反省し、戦禍を二度と繰り返さない「不戦の誓い」を世界に発信しなければ、本当に平和を祈念したことにならないのではないか。
安倍晋三首相はきのう、追悼式の式辞で「我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました」「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この誓いは昭和、平成、そして、令和の時代においても決して変わることはありません」と述べた。

◆加害・反省語らぬ首相
不戦の誓いを、令和の時代も引き継ぐことを述べてはいるが、首相の式辞から抜け落ちているものがある。それはアジア諸国の人々に対する加害と反省だ。
損害を与えた主体を「わが国」と明確にして加害と反省の意を表明したのは二〇〇一(平成十三)年の小泉純一郎首相が初めてだった。それ以降の首相は基本的に踏襲し、八月十五日には加害と反省の意を表明してきた。
安倍首相も第一次内閣の〇七年には加害と反省に言及したが、政権復帰後の一三年からは触れていない。今年で七年連続となる。
首相が加害と反省に言及しない背景には、アジア諸国に対して、いつまでも謝罪を続ける必要はないという考えがあるようだ。
一五年八月十四日に閣議決定した戦後七十年の「安倍首相談話」は「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べている。
国民の一部にある「いつまで謝罪をしなければならないのか」との思いに応えたのだろうが、政治指導者が加害と反省に言及することをやめたらどうなるのか。
多大な犠牲を出した戦争への責任を国家として感じているのか、本当に反省しているのか、という疑念を、アジア諸国のみならず世界に与えてしまう。
先の大戦の反省の上に立つ日本の平和主義は、戦後七十年以上を経て、日本人の血肉となった。その不戦の誓いも、政治指導者が心を込めて語らなければ、受け取る側の胸には響かないのではないか。
今年四月に天皇を退位した上皇さまは昨年十二月、天皇誕生日の記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)しています」と述べた。天皇は国政に関する権能を有しないが国民統合の象徴としての在位期間に戦争がなかったことへの安堵感を、率直に語ったのだろう。
そして時代は平成から令和へ。
戦後に生まれ、今年即位した天皇陛下は追悼式のお言葉で「ここに、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い」と述べられた。戦後七十年の一五年以来、お言葉に「反省」を盛り込んだ上皇さまを受け継いだ形だ。

◆戦禍を語り継ぐ責任
戦争や戦後の苦しい時期を経験した世代は徐々に少なくなり、戦争を知らない戦後生まれが八割を占めるようになった。時の流れで仕方がないとしても、記憶や経験の風化が、不戦の誓いまで形骸化させてはならない。
戦争がもたらす犠牲や苦難を次の世代に語り継ぐことは、今を生きる私たち自身の責任だ。そして折に触れて、戦禍を二度と繰り返さないという不戦の誓いを、深い反省とともに語ることは、首相ら政治家の重要な役割でもある。