追悼式の式辞 加害に触れないままでは - 信濃毎日新聞(2019年8月16日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190816/KT190815ETI090010000.php
http://web.archive.org/web/20190816022115/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190816/KT190815ETI090010000.php

終戦から74年を迎えたきのう、政府主催の全国戦没者追悼式が開かれた。
安倍晋三首相は式辞で「歴史の教訓を深く胸に刻み」と述べたものの、今年もアジア諸国への加害責任に触れなかった。
先の大戦で亡くなった日本人は軍人、軍属、民間人を合わせ300万人以上だ。首相は「平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれた」と述べた。
忘れてはならない。亡くなったのは日本人だけではない。日本が侵略した中国やアジア諸国などでも多くの尊い命が失われた。
加害の歴史に向き合い、反省する姿勢がなければ、首相が「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と述べても、教訓として生きない。アジア諸国の人々に言葉の重みを疑われるだろう。
加害者としての反省を初めて盛り込んだのは1994年の村山富市首相だ。戦後50年の95年には「痛切な反省と心からのおわび」を表明した。その後の首相はいずれも加害責任に触れてきた。
安倍首相も第1次政権時の2007年には「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」とし、「戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持する」と述べていた。
言及しなくなったのは第2次政権発足後の13年からだ。今回で7年連続になる。
政府主催の追悼式での方針転換は、日本が歴史を修正しようとしていると受け取られかねない。首相はきのう、A級戦犯を合祀(ごうし)した靖国神社玉串料を私費で奉納もした。このまま見過ごすことはできない。
韓国人元徴用工や旧日本軍の従軍慰安婦の問題などで、韓国国民の対日感情が悪化したのも、日本政府が過去に真正面から向き合わない姿勢が不信感を与えていることが理由の一つだろう。
初めて追悼式に臨まれた天皇陛下は、国民に向けた「お言葉」の中に「深い反省の上に立って」という文言を盛り込んだ。上皇さまが平成の最後に4年連続で述べた言葉を継承した形である。
陛下は15年の記者会見で「戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切」と述べている。その認識の上に立った「お言葉」だろう。
懸念されるのは、陛下の「深い反省」が、首相が加害責任に触れないことの免罪符として印象づけられることだ。それは天皇の政治利用につながりかねない。