[翁長氏急逝から1年]屈しない姿勢 次世代に - 沖縄タイムス(2019年8月8日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/455820
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翁長雄志前知事が膵臓(すいぞう)がんで急逝してから8日で1年となる。
文字通り命を削るように新基地反対を貫き、沖縄の自治と民主主義を守るため政府と対峙(たいじ)し続けた。日米両政府によるさまざまな圧力にも屈しなかった姿勢は、県民の脳裏に深く刻まれている。
「新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」
亡くなる直前、慰霊の日の全戦没者追悼式で帽子を脱ぎ、安倍晋三首相を前に声を振り絞り平和宣言を読み上げた姿が今でも思い起こされる。「民意」を背に、政府に新基地反対を訴え続けた。
翁長氏は2014年の知事選で、辺野古移設容認の現職知事に10万票近い大差をつけ当選した。基地を挟み分断された従来の政治から「辺野古に新たな基地を造らせない」という一点で保守と革新陣営を結びつけたのだ。「イデオロギーよりアイデンティティー」と訴え共感が広がった。
普天間問題とは何か。菅義偉官房長官との協議でこう強調している。
「(米軍が戦争で)自ら奪っておいて、今や世界一危険だから、また沖縄で(新基地を)差しだせというのは、日本の政治の堕落ではないか」
分かりやすい言葉と胸に響くメッセージで基地に苦しむ県民の気持ちを代弁した。
権力に屈しないその姿勢は若者の行動にも影響を与えた。若者が中心になった運動でことし2月の県民投票にこぎつけた。辺野古埋め立て工事に7割以上が反対し日米両政府にノーを突きつけた。

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翁長氏が育てた保革を超えた「オール沖縄」は、沖縄の政治の新たな枠組みを作り上げた。翁長氏亡き後、一部企業グループは離脱したものの玉城デニー知事誕生以降、那覇豊見城両市、衆院3区補選、参院選挙と5連勝するなど存在感を示し続けている。
だが政府は辺野古沿岸に土砂を投入、新たな護岸を建設するなど、県の中止要請を無視し工事を強行している。
玉城知事は7日、埋め立て承認撤回を取り消した国交相の裁決は違法とする抗告訴訟を起こすなど法廷闘争で対抗するが、現時点で政府への有効な対応策を打ち出せていない。翁長氏から引き継いだ政治的意思をどう具現化していくか大きな課題を背負う。今後は在沖海兵隊の再編計画を検証する米国議会へ早期に沖縄の声を発信するなど一層の働きかけが必要だ。

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「一体、沖縄が日本に甘えているんですか。日本が沖縄に甘えているんですか」
翁長氏は日本政府の「辺野古が唯一」とする対応や本土全体の無関心、無理解をこう批判してきた。「普天間の危険性の除去」は一日も早く実現しなければならない。しかし、県内移設にこだわれば、新基地の完成も見通せず、普天間の返還は遠のく。尊厳と誇りを傷つけられたと感じる県民の「魂の飢餓感」が癒やされることはないだろう。
翁長氏の重い告発にどう応えるのか。歴史を踏まえた日本政府の沖縄への向き合い方が問われている。