<金口木舌>私たちも裁かれた - 琉球新報(2019年7月3日)

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屋我地島に愛楽園が開所する前に起きた「嵐山事件」に関する記録を読んだ。羽地村嵐山へハンセン病療養所を建てようという県の計画が住民の激しい反対で頓挫した1932年の出来事を30年後に振り返っている

▼病に対する住民の恐れが文面からうかがえる。もし療養所があったならば「嵐山を水源地として流れている河川の下流の民は安心してその水を掬(すく)いえたであろうか」とある
▼記録が書かれた当時、既に特効薬は開発されていた。それでも「羽地の空に病菌の飛散はとめえた」としても、住民への精神的影響は少なくなかったと書いた。薬では偏見は治癒できない
▼沖縄のハンセン病患者救援に尽くした青木恵哉は事件の翌年、嵐山を訪れた。不便な土地だった。「病者はどこでもよいから隔離しておきさえすればよいという腹だったのだろうか」と著書で県を批判した。患者の隔離政策が偏見と対立を生んだ
▼隔離政策を黙認したメディアの罪もある。60年代、愛楽園や宮古の南静園を無断で離れる患者を指し、本紙は「脱走」と報じた。「警察の留置場に仮収容」すべきだとする医師の談話も載せた。隔離を当然視していた
ハンセン病家族訴訟で熊本地裁は隔離政策の過ちを指摘し国の責任を認めた。裁かれたのは国だけではない。患者や家族を差別する側にいたメディアも厳しく裁かれたのだと自覚したい。