週のはじめに考える インド出身区議の挑戦 - 東京新聞(2019年6月9日)

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今春の統一選で、インド出身の区議が東京都江戸川区に誕生しました。古くて新しいこの国とのかかわりから日本の「国際化」のこれからを考えました。
日本のインターネット銀行などで仕事をしていた愛称よぎ(本名プラニク・ヨゲンドラ)さん(42)は、江戸川区議選で六千四百票余を獲得し四十四人中五位で当選しました。
区にはIT関係を中心に約四千人のインド出身者が暮らしますが、多くは有権者ではありません。訴えは日本人住民に支持を受けたのです。

◆公立学校を変えたい
立候補した理由の一つは、教育を良くしたいという思いだったといいます。
息子は小学校五年生から地元の公立小中学校に通いました。PTA活動にも積極的に参加し、日本の学校に対する疑問がいくつもわいてきたそうです。
教科書通りに教えるだけで、実験をしたり立体模型を使ったりして自分の頭で考える機会が少ないのではないか。なぜその教科を勉強するのかを考えておらず、テストの前だけ知識を詰め込んでいるのではないか。授業で何かを成し遂げたという感情が満たされていないことが、いじめのまん延にもつながっているのではないか-。
外国人労働者の受け入れ拡大に踏み切った今、公立学校も国際色豊かに変わっていくべきだといいます。「英語の授業は外国人の先生を入れた方がいい。理科や数学の授業も英語でやればいい」
現在、インド出身の子どもはほとんどがインド系の国際学校で学んでおり、日本の公立学校に通う子はわずかです。独自の教育方針などに魅力を感じて子どもを国際学校に通わせる日本人の親もいます。「国際学校に通うには高額の授業料がかかる。公立学校のあり方を変えていけばいいと思う」

◆国籍問わず学びやすく
教育にはそれぞれの国の歴史や背景もかかわっており、どのやり方にも長所も短所もあるでしょう。ただでさえ苦手な生徒が多い理系科目の授業を英語ですれば、落ちこぼれる子が増える心配もあります。
ただ、例えば選択授業という形ならば、不可能ではないかもしれません。子どもの国籍を問わず学びやすい学校の姿について地域の実情を踏まえて議論していくことは、今後ますます大きな意味を持つようになるでしょう。制度や財政上の課題の整理が必要ですが、問題意識を共有する自治体が連携し、国も巻き込んで知恵を絞るのも一つの道です。
現在、日本の中でインドの存在感が増している要因はITですが、かつても人々の心の中で存在感が大きかった時代がありました。二つの国を結んだのは六世紀に伝わった仏教です。
東洋文庫ミュージアム(東京都文京区)では先月まで「インドの叡智(えいち)展」が開かれていました。そこで展示されていた一枚の図からは、いにしえの人々の世界観をうかがい知ることができます。
江戸時代に描かれた「南瞻部洲萬国掌菓之図(なんせんぶしゅうばんこくしょうかのず)」。南瞻部洲は人間が住む世界。インドを中心に中国、日本の三国が描かれています。平安時代から「三国」という言い回しが文献でみられるようになりました。仏教を通じて他国を知り得た日本人にとってそれが世界のすべてだった時代が長く続きました。「三国一の花嫁」といえば、最高の褒め言葉になるわけです。
戦乱や飢饉(ききん)、地震などが相次いだ平安時代末期から鎌倉時代にかけて、人々のインドへのあこがれは強まったといいます。その後十六世紀になるとポルトガル人などが訪れるようになり、日本人のインドへの関心はじょじょにではありますが薄れていきました。十八世紀作のこの図にはオランダ人からもたらされた情報によって「亜黒利加(アメリカ)」が右下に、「エウロパ」が左上に小さく描き入れられています。
明治維新以降、その地図では片隅におかれていた欧米の背中を日本はひたすら追い掛けました。
そして戦後とくに米国との関係に心を砕いてきたのは、先日のかの国の大統領が来日した際のこまやかな「おもてなし」にも表れています。

◆味わい深い社会に
私たちは今を起点に物事の見方を定めていますが、過去も未来も、もっと長い時間軸でとらえれば違った国際化の姿も見えてくるかもしれません。さまざまな国の人々とのかかわりあい方次第で、社会をより味わい深い、豊かなものにしていける可能性もあるのではないでしょうか。
移民元年ともされる今年、そんな頭の体操を始めてみたいと思います。