ハンセン病市民学会 差別や偏見なくす契機に - 琉球新報(2019年5月20日)

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ハンセン病に対する差別や偏見をなくすとともに、学校や社会で正しい知識を伝えるための啓発活動に取り組み、地域全体で人権を守る意識を醸成する契機としたい。
全国のハンセン病回復者や支援者らでつくる「ハンセン病市民学会」の第15回総会・交流集会が3日間の日程で石垣市宮古島市できょうまで開かれている。
市民学会は基本的には療養所がある場所での開催だったという。今回初めて、療養所のない石垣市で初日の集会を開いた。これには、療養所のない場所でもハンセン病に対する啓発を進めたいとの主催者の強い思いがあった。
シンポジウムで語られた回復者の体験は悲痛なものだ。石垣市出身で、鹿児島県の星塚敬愛園に入所する上野正子さん(92)は、結婚の報告のため帰省した際、曲がった手のせいで両親に押し入れに隠れるよう命じられた。
宮良正吉さん(73)は回復後も病歴を隠し続けたが、2001年の国家賠償訴訟の後、大阪で語り部として差別をなくす取り組みを始める。「回復者やその家族はいまだに根深く続く差別・偏見の中で身を隠すように生きている」と証言した。
ハンセン病は戦後、特効薬が開発され、治る病となった。しかし国は患者の強制隔離政策をとり続けた。隔離政策がハンセン病への恐怖感を植え付け、差別を生み、患者や回復者、その家族をも苦しめてきた。
ハンセン病患者の強制隔離を約90年にわたって合法化した「らい予防法」が廃止されたのは1996年だ。だが、ハンセン病に対する社会の差別や偏見は完全には払拭(ふっしょく)されていない。
その証左の一つはハンセン病家族訴訟だ。5月31日に熊本地裁で判決を迎える家族訴訟の原告561人のほとんどは匿名だ。社会に出て証言できない家族たちの苦しみもいまだ存在する。29人の証人尋問では一家離散や学校でのいじめ、婚約破棄、離婚に追い込まれるなどの実態が明かされた。
市民学会が行政に求めたように、偏見・差別の解消に向けた啓発活動が重要だ。回復者の里帰りを支援すれば交流によって理解を深めることもできる。
また、療養所以外にはハンセン病の症例を経験した医師が少なく、後遺症の治療が地域で受けにくいといった問題もある。回復者に対する医療やカウンセリングなどの支援も必要だ。
治る病となった後も、回復者とその家族が差別にさらされてきたのは私たちにも責任がある。
差別をする側は往々にして、差別を受ける側の苦しみやつらさに無関心だ。悲惨な境遇に見て見ぬふりをし、悲痛な叫びに耳を傾けてこなかった。国の隔離政策を放置してきたのは私たち社会の問題だと自覚したい。