大嘗祭の日に 伝統と憲法の調和は - 東京新聞(2019年11月14日)

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天皇即位に伴う大嘗祭(だいじょうさい)が十四日、十五日と行われる。伝統儀式で宗教色が濃い。明治の大規模化の踏襲でいいのか。憲法との調和も深く考えるべきだ。
日本民俗学の草分けである柳田国男に「大嘗祭と国民」という小文がある。大正天皇の代に貴族院書記官長で、京都での大嘗祭に仕えた。こう記している。

<如何(いか)なる山の隅にも離れ小島にも(中略)遠くその夜の神々しい御祭の光景を、胸にえがかざる者は一人もない>

柳田国男の苦言とは
<夜の御祭には本来説いてはならぬ部分があるのかも知れぬ。(中略)今考えると唯(ただ)きらきらと光るものが、眼(め)の前を過ぎたという感じである>

国民の感激と体験した神秘性を伝えている。一方で、儀式の壮麗さを批判する文面が「大嘗祭ニ関スル所感」の一文に表れる。

<今回ノ大嘗祭ノ如(ごと)ク莫大(ばくだい)ノ経費ト労力ヲ給与セラレシコトハ全ク前代未聞>

心ある者が「眉ヲ顰(ひそ)メシムル如キ結果ヲ生シタル」と。経費や労力だけでなく、「徹底的ニ古式ヲ保存シ一切ノ装飾ヲ去」らねばならないのに、問題点を挙げ苦言を述べている。
柳田の一文は昨年の秋篠宮さまの発言を思い出させる。「大嘗祭は身の丈に合った儀式で行うのが本来の姿」とし、「宗教色が強いものを国費で賄うことは適当かどうか」とも疑問を述べられた。
天皇家の私的費用である「内廷費」で対応する。儀式会場の大嘗宮を新築せず、宮中にある新嘗祭(にいなめさい)の神殿を利用して経費を抑える、そんな提案だった。
新嘗祭は毎年行われるが、大嘗祭皇位継承時のみである。皇祖および天つ神・国つ神に安寧を、そして国家・国民の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る。だが、秋篠宮さまの持論を宮内庁側は「聞く耳を持たなかった」という。

簡素化案は検討せよ
これは見過ごせない問題を投げ掛けている。まず「身の丈」-。大嘗祭の公費支出は総額二十四億円余り。皇居・東御苑に大嘗宮が建てられ、約九十メートル四方に大小三十もの建造物群が並ぶ。参列者は約七百人にのぼる。壮大な国家的行事の様相を示す。
これほどの巨大な儀式が必要なのか。伝統といいつつ、祭祀(さいし)一般が巨大化したのは明治期からである。むろん天皇を神格化する国家づくりのためである。十七世紀の「鈴鹿家文書」にある大嘗祭図は高床式の素朴なものである。奈良・平安時代は床さえなかったという。もともとは天皇が身を清める「廻立(かいりゅう)殿」、東西の祭場「悠紀(ゆき)殿」「主基(すき)殿」、調理場「膳屋(かしわや)」が基本なのだ。さらに室町時代から江戸時代の約二百二十年間は中断していた歴史もある。
議論を尽くさず「前例踏襲」と言い、かつ仮に明治賛美をあおると、天皇神格化の復活の意図があるか、政権による天皇の政治利用の意図さえ疑われるであろう。何しろ「文化の日」を「明治の日」とする案が浮かぶ今日である。
簡素化案は今後、十分に検討すべきであろう。「内廷費」で賄うべきだとの考えは憲法政教分離原則に沿っている。政府は大嘗祭の宗教性を認めているから、国事行為にはできない。だが、「皇位継承に伴う重要な皇室行事」とし、公費支出する。つまりは重要というだけで論理が希薄である。
平成の式典で一九九五年の大阪高裁判決が原告敗訴ながら、「政教分離規定に違反するという疑義は一概に否定できない」と述べたことに留意すべきである。今回もキリスト教関係団体などが「国家神道の復活を意味し、違憲だ」と主張しているし、別の市民や弁護士らが提訴する動きもある。
象徴天皇制は戦前の君主制の否定であるし、政教分離は神権的天皇制の封印のためである。公費支出にこだわらなくとも、秋篠宮さまの提案にも十分に理があるはずである。
即位に際しても「即位灌頂(かんじょう)」という仏教色の儀式があったが明治になり廃された。江戸期の天皇は京都・泉涌(せんにゅう)寺で埋葬されてきた。明治政府の神仏分離で変わった。そんな歴史をたどれば、現行方式は明治以降の伝統にすぎないとの考えもある。

皇室典範から削除
そもそも大嘗祭は新皇室典範から削除されている。戦後の国会で「信仰の点を含むため不適当」とされたためだ。それでも「前例踏襲」で戦前と同じ形式を続けるのは、思考停止と同じである。このままでは戦前回帰の宗教的なナショナリズムを抱く人らに、皇室祭祀が利用される恐れがある。
多様な信念を持つ人々が暮らす日本で、憲法にふさわしい様式を真面目に考えてはどうか。