http://archive.today/2019.03.27-234536/https://mainichi.jp/articles/20190327/k00/00m/040/355000c
清正宛ての朱印状・写し
去九日之書状今日廿三日到来、加披見候、
先書ニ如被仰遣候、対馬守・摂津守高麗ヘ定而
可相越候条、其方も
至高麗船付令着
岸、取固候て早々注進
可申候、異国者手ぬるく候
とて、少も不可由断候、
九州・四国・中国衆
何茂高麗ヘ渡海之
儀、被仰遣候、御先勢
路次つかへ候ニ付而、廿
五日御動座候、猶以
城々堅相拵、皆々申
談無卒尓様可成
其意候也、
三月廿三日(朱印)
加藤主計頭とのへ
※愛知県刈谷市歴史博物館の資料より
清正宛ての朱印状・現代語訳
(3月)9日の書状が今日23日に着いたので見たところである。以前出した書状でも記したが、宗義智・小西行長を高麗へ向かうように命じている。お前も高麗に出陣し、陣を固めたら早々に知らせること。異国の者はそんなに強くないと思って、決して油断はしないように。九州や四国、中国地方の大名へは既に高麗へ出兵するよう伝えている。先に行った者たちが道中で詰まっているので、25日に(私が)出陣する。城の守りを固めて、皆で相談をしてつつがなく進めるように。
3月23日 秀吉
加藤主計頭(清正)殿へ
※愛知県刈谷市歴史博物館訳