(筆洗)その兵隊は戦場で泥まみれになりつつ - 東京新聞(2015年12月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015122902000122.html
http://megalodon.jp/2015-1229-0945-15/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015122902000122.html

その兵隊は戦場で泥まみれになりつつ、亡き妹に宛てた届かぬ手紙を書き続ける。<僕は、兵隊は、小さくて、軽くて、すぐ突拍子もなく遠い所に連れて行かれてしまって、帰ろうにも帰れなくなってしまう感じから虫けらみたいだと思います>
故・古山高麗雄(ふるやまこまお)さんの小説の一節だ。一兵卒としての経験を基に地を這(は)う視線で戦争を描いた古山さんは、慰安婦について<屈辱的なことをやらされている点では同じだ…彼女たちは同族だ>と書いた。
韓国・世宗(セジョン)大学の朴裕河(パクユハ)教授は労作『帝国の慰安婦』でこの小説を引きつつ、慰安婦が「性」を提供する立場であったなら、兵士は「命」を提供する立場。どちらも国家によって「戦力」にされていた−と論ずる。
巨大な手に虫のように弄(もてあそ)ばれ、今もその記憶にさいなまれる。そんな人々にとって、朗報となっただろうか。日韓両政府はきのう、慰安婦であった方々の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やすことに取り組むことで合意した。
日韓や左右の分裂と対立によって生まれる苦痛は結局、元慰安婦たちが受け持つことになる。そう朴教授が指摘するように、彼女たちは戦時中だけでなく戦後も、国家や集団の論理に翻弄(ほんろう)され続けたのだ。
戦後七十年。その苦痛に終止符を打つ試みは政府間の合意で終わるものではなく、一人一人の様々な思いと向き合うことで始まるのだろう。