週のはじめに考える 大学新入生の皆さんへ - (2019年3月24日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019032402000163.html
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大学新入生の皆さん、おめでとうございます。新生活に胸弾ます季節でしょう。でもちょっとだけ、大学の未来を一緒に考える時間をいただけませんか。
少子化の荒波の中、大学も今、受験生だった皆さんと同じように競争に追い立てられています。
国立大学では、二〇〇四年の法人化以降、定期収入の大きな柱の一つである、国からの運営費交付金が年々削られました。今後は、どのくらい研究資金を外部から獲得できているかなど、国の決めた基準で「採点」し、交付金を上乗せしたり、削減したりする傾斜配分の幅が広がる予定です。

◆100キロ離れた共同学部
スリム化のため、他大学との部分的な「統合」に踏み切る大学も出てきています。
名古屋大学岐阜大学は、二〇年に法人を統合する予定です。一つの法人のもとで二つの大学が運営されるようになるのです。背景にあるのは、このままでは縮むだけだという危機感です。共同で研究機関をつくることで、国や企業などからの資金が獲得しやすくなるなどの統合効果も期待できるようです。
群馬大学宇都宮大学も二〇年に共同教育学部をつくります。
教育学部については、少子化が進めば必要な教員の数も減るとして、文部科学省有識者会議が「現在の組織や規模のままで機能強化と効率性の両方を追求することは困難」として他大学との連携や統合を促す報告書を出しています。
群馬の学生が宇都宮大の、逆に宇都宮の学生が群馬大の授業を一定割合、受けることになります。ただ二つの大学は距離は約百キロも離れています。合同での合宿研修やフィールドワークを行うことも考えているそうですが、ふだんはインターネット技術を利用しての遠隔授業が実施される予定です。

◆縮む社会考える教材に
小中学校の教室では今後、受け身ではない「主体的な学び」がますます重要視されます。そんな教室で教える先生たちを、画面を通じて教える。矛盾を抱えながら、いかに一方通行にしないか、両大学の教員たちは授業の手法やシステムのあり方について模索を始めたところです。
一種の苦肉の策ですが、現場の先生からは、その意義を認める声も出ているそうです。過疎化が進む地域では小中学校の統廃合も限界に近づいており、遠隔授業も選択肢となりつつあります。大学で遠隔授業を受けた経験が、過疎地の子どもたちへの遠隔授業に役立つこともあるかもしれないというのです。この国はどこまで縮んでいくのだろうと、落ち着かない気持ちにもなります。
桜咲く季節に、あまり晴れやかな話もできずにすみません。でもこんな話をするのは、これから大学をどうするのかを考える主役は学生の皆さんでもあると思うからです。
大学の歴史をひもとくと、十二世紀、ヨーロッパの中世社会までさかのぼります。大学を意味する英語のユニバーシティーなどの語源は、ラテン語で組合を意味するウニベルシタスです。学生たちが自分たちが求める教育を実現するため、教員と契約を結ぶ形の組合もあったとされています。
維新ののち明治政府は高等教育の仕組み作りを急ぎました。「大学の誕生」(天野郁夫著、中公新書)によると、議論の過程では「高等学校ハ、政府干渉スヘキヤ否ヤ(中略)聞クトコロニ依(よ)レハ、自由ノ精神ヲ、暢発(ちょうはつ)セサレハ不可ナリ(中略)故ニ欧州ノ学校、多クハ政府之(これ)ニ干渉セス」と、大学の本質を問う声も上がったようです。
しかし欧米諸国に追いつくことが優先される時代、結果的に帝国大学は国家のための人材育成の場であることが求められました。
大学のあり方に正解はありませんが、そのDNAの奥底に刻まれているのは、国家よりもむしろ、学生や教員が主体となった姿なのです。
縮んでいく社会では、競争による淘汰(とうた)や、「選択と集中」の資本投下が実行される領域も増えていくかもしれません。苦悩する大学を生の教材に、その手法の光と影を見つめてください。

◆社会変えていく存在に
群馬大で取材した際に、斎藤周(まどか)教育学部長に過重労働といわれる学校に教え子を送り込む心境を聞いてみたところ、こんな答えが返ってきました。
「現場で頑張ってほしい。長時間労働に耐えろという意味ではなく、自分たちや、子どもたちのために、それを変えていく教員になってほしい」
答えの見つかっていない数々の難題が、大学のその先でも、皆さんに解いてもらうのを心待ちにしています。