(余録)昭和史の最後の元老、西園寺公望は… - 毎日新聞(2018年10月5日)

https://mainichi.jp/articles/20181005/ddm/001/070/151000c
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昭和史の最後の元老、西園寺公望(さいおんじ・きんもち)は明治の伊藤博文(いとう・ひろぶみ)内閣で2度文相を務めた。彼は師範学校校長会で「内に安(やす)んじ外を顧(かえり)みず徒(いたずら)に大和魂を唱えるのみで世界文明の大勢に随伴(ずいはん)するを悟らざる」と教育界を批判した。
西園寺は忠孝の上下関係の道徳に偏していた当時の教育に不満で、第2の教育勅語を作ろうと明治天皇から承諾を得る。彼はこれからの世は「人民が平等の関係において自他互いに尊敬する」ことを教えるべきだと側近に語っていた。
今に残る勅語草案は他国民に丁寧親切に接して「大国寛容の気象」を発揮するよう説き、社交の徳義、責任の重視、女子教育の振興などをうたった。だが当の西園寺はおりから盲腸炎を患って文相を辞任、第2教育勅語は幻に終わる。
さてこちらも文相、正しくは文部科学相の就任早々の教育勅語発言である。「アレンジした形で今の道徳に使えるという意味で普遍性をもっている部分がある」。何ともまわりくどいが、要は道徳の教材になりうると言いたいらしい。
いつの世にも通じる普遍的徳目を示すのに、なぜ明治の文相すらも時代錯誤と考えた勅語から苦労して引かねばならないのか。そも戦前日本を滅ぼしたのは、外を顧みず忠孝を偏重する勅語を教え込まされた世代の指導者ではないか。
ナチスが欧州を席巻(せっけん)した時、元老・西園寺は「ヒトラーはナポレオンほど続くか。夢中になるな」と語った。だが「バスに乗り遅れるな」と破滅の道へと殺到したのは明治の教育が生んだ秀才たちだった。