<ウチナーンチュ 心の痛み 沖縄知事選を前に>(中)交付金 覆された民意 - 東京新聞(2018年9月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018092502000113.html
http://web.archive.org/web/20180925021936/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201809/CK2018092502000113.html


沖縄県知事選が始まって最初の日曜日の十六日、名護市辺野古の米軍基地建設予定地に近い市立久辺(くべ)小学校で、運動会が開かれた。
子どもの応援に来た保護者らが新しい子育て支援策を話題にしていた。「本当に助かりますよ」。四年生の末っ子を含めて六人の子を育てる母親(49)が実感を込めて話した。九月から保育園・幼稚園の利用料や小中学校、公立幼稚園の給食費が無料になったからだ。
財源は、政府が在日米軍再編の影響を受ける自治体に出す再編交付金。今年二月、与党が支持した渡具知(とぐち)武豊市長が初当選し、二〇一七、一八年度分の計二十九億八千万円が市に入ることになった。米軍普天間飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の辺野古移設に反対だった、前市長稲嶺進氏が当選した〇九年度からストップしていた政府のアメが復活した。
三十代の父親二人も「基地は誰だって嫌だ。でも国は止められない。どうせ造られるなら、町をよくしてもらった方がいいんじゃないかって考えている人が辺野古は多いよ」と話した。
市内の高台にある畑。猛暑の中、草刈りをしていた稲嶺諭さん(50)は「ここは農業用水がきていないから水くみで下の集落まで何往復もしなくちゃならん」とぼやく。「稲嶺さんの時代から交付金があったら、とっくに農業用水もできていたんじゃないかって。きれいごとで飯は食えないさ」
札束でほおをたたくようなやり方は海上でも。海上抗議行動を監視する警戒船として一日数万円で漁師を雇っている。〇五年ごろ、政府による沖合のボーリング調査を阻んだのは漁師たちだった。宜野座村漁協の畠腹(はたふく)英幸さん(64)は今回、政府から警戒船を出すよう依頼され協力している。「海上への基地建設は自分の畑を荒らされるのと同じ。賛成する漁師は誰もいないけど、工事は始まっており、国を止めようがない」
政府によるムチもある。辺野古移設に協力的だった仲井真弘多(なかいまひろかず)前知事時代、沖縄振興予算は一気に五百億円増え三千五百一億円に。それが移設反対の翁長雄志(おながたけし)氏が一四年に仲井真氏を破ると次第に減額され、一八年度は三千十億円にまで減らされた。「公営住宅の整備の先延ばしや道路整備を縮小せざるを得なかった」と県の担当者は話した。
辺野古基地予定地の隣にある米軍キャンプ・シュワブ演習場。ヘリポートから数百メートルに位置する畑で、農家の比嘉増隆さん(65)はサトウキビやカボチャを育てる。オスプレイが頭上を頻繁に飛び交うといい、比嘉さんは「政府からの金は一時的なもの。地域の安全と引き換えにはできない」と基地建設に反対する。
辺野古金物店を営む西川征夫(いくお)さん(74)は「普天間基地海上への移設案が浮上した一九九六年ごろから地域は分断されてきた」と話す。二〇一五年には建設予定地の地元に政府が補助金を直接投入。「中立だった人もどんどん容認に流れた」
反対運動を続けてきた浦島悦子さん(70)は「一九九七年の住民投票で、海上ヘリポート反対の意向が示されたのに、政治に覆された影響も大きい。民意を示したのに推進されたショックで、今では何もしなくなった人が多い。私も疲れました」と言葉を絞り出した。