昭和と同じ…国会は一度狂えばどこまでも狂う人の集まりだ(井筒和幸映画監督) - 日刊ゲンダイDIGITA(2018年7月28日)

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酷暑が人の命を脅かし続けている。そんな中、我らはうな丼でもホルモン焼きでも冷やし中華でも何でも食らい、無頼の徒たちの昭和史の映画撮影準備に追われている。資料を調べてると、いつの時代も、人は生き残ろうとするか諦めてしまうか、どっちかだと気づいた。
73年前の7月末も、さぞかしクソ暑かったことだろう。沖縄では6月の末、日本軍は兵も弾も尽き果て、島の住民も巻き込み、米軍に壊滅させられた。それでも日本は本土決戦のために戦争はやめなかった。絶句してしまうが「2000万人特攻をして米軍に和平交渉をしかけたら、日本は全面降伏せずに済む」という、気の狂ったことを平然と言う将官がいたらしいが、いったい、どこまで国民の命を奪い、どんな国を残すつもりでいたのか想像もつかない。
連合軍の本土侵攻が迫った6月22日「義勇兵役法」を公布し、徴兵を拡大した。これにもゾッとさせられる。15歳から60歳の男、17歳から40歳の女に戦闘を仕向け、17歳未満の少年まで召集した。先の沖縄玉砕戦で14歳から17歳の少年は“鉄血勤皇隊”に入れられ、多くが戦死していたので、この兵役法も当然のことで、「一億玉砕」の法律だった。国会議員どもが制定した。「国会」は一度狂えば、どこまでも狂う人の集まりだ。これは今も言える。豪雨災害の復旧策もままならないのに、デタラメなカジノ法を通した。ふざけた話だ。
狂っていた昭和の夏。当時の国民のそれぞれの気持ちはどうだったか、必死で生き残ろうとしたか、疲れて諦めたのか。老い果てる最後の戦争体験者に教えてもらいたいのはそこだ。今の10代の若者にそんな好奇心があるかは疑問だが、自分の曽祖父や曽祖母に今からでも聞き取るのが平成世代の最後の仕事かもだ。
合点がいかないのは73年前の7月27日、つまり本日、米英中から降伏勧告「ポツダム宣言」を受けた翌日、日本の新聞社が書き立てた、まるで酔っぱらいが書いたような見出しだ。「笑止、何が降伏条件だ! 米英よ自惚れるな! 聖戦あるのみ!」と。当時の鈴木首相も「そんな宣言は重要でない。今は黙殺して戦争に邁進する」と記者会見したら、世界中に、「日本は宣言を拒絶した」と報じられてしまった。
首相以下、戦争指導者の面々は本当はどう思っていたんだか。「もう終結させよう。和平交渉だ」となんで皆で声を上げなかったのか。軍部の玉砕戦の執着に気おされたとしても、なんで、国民、政治家、学者、文学者、ジャーナリストは最後の原爆の悲劇を回避できなかったのか、生き残ろうとしたのか諦めたのか。政府はアメリカの原爆の悪だくみをほんとに知らなかったのか。ポツダム「拒絶」の日に、改めて疑問が湧いてくる。