<金口木舌>先週、「施設の移転について」と題した100文字ほどの文書が、・・・ - 琉球新報(2018年7月18日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-763420.html
http://archive.today/2018.07.18-054116/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-763420.html

先週、「施設の移転について」と題した100文字ほどの文書が、沖縄少年院長と沖縄女子学園長の連名で届いた。今月から糸満市真栄平の新施設で業務を始めたというお知らせである

沖縄市山内の施設跡を訪ねてみた。コンクリート製の高い塀の向こうにヤシの葉が見える。1961年、この地に少年院が造られた。近隣住民は長年、この塀と共に暮らした
▼映画監督・東陽一さんの69年の作品「沖縄列島」に、運動場を黙々と走る少年を捉えた印象的な場面がある。この時代、沖縄が激動期にあったように、塀の中も揺れていた。少年の脱走が頻発していた
▼脱走を報じる本紙は「少年らは肉親の愛情欲しさに脱走を試みる場合が多い」と説いた。塀を越え脱走せずとも、親の愛を切望する子の心は変わらない。ひどい仕打ちを受けながらも親を慕う少年の声を、施設内の行事で幾度か聞いた
▼規律を重んじる環境下で、少女たちは俳句を詠んだ。自分を見つめ直す中で「流されて ぶつかった岩が 女子学園」という句が生まれた。「面会日 母の涙が 太陽だ」は、母の愛に触れる喜びと希望に満ちている
▼施設跡に残る古い塀には、多難だった沖縄の矯正教育の歴史が刻まれている。それは子どもたちと向き合うべき大人の姿勢を厳しく問う。歴史は新たな地に引き継がれた。背を向けるわけにはいかない。