(余録)日本書紀の応神天皇の時代に多くの渡来人の記事がある… - 毎日新聞(2018年7月13日)

https://mainichi.jp/articles/20180713/ddm/001/070/153000c
http://archive.today/2018.07.13-001412/https://mainichi.jp/articles/20180713/ddm/001/070/153000c

日本書紀の応神(おうじん)天皇の時代に多くの渡来人の記事がある。秦(はた)氏や倭漢(やまとのあや)氏などの祖先たちが「百二十県の人民」や「十七県のともがら」を率いてやってきたとある。これが事実だとすれば、すごい大量移住である。
応神紀の記事は、その後の何波かにわたる渡来人の来朝を象徴する記述と見られている。6世紀半ばの欽明(きんめい)天皇元年の渡来人の戸籍調査では秦人(はたひと)だけで7053戸を数えている。当時の人口を思えば渡来人の存在感は大きかったろう。
こちらは今日の人口動態調査だ。今年初めの日本人の人口は前年から37万人減って、1億2520万人、人口減は9年連続、減少幅は調査開始以来最大となる。これに対し国内在住の外国人は249万人で、4年連続最多を更新した。
こと15〜64歳の生産年齢人口は、初めて全人口の6割を切った。一方で国内に住む外国人は若い世代が多く、20代について見れば同年代の日本の人口の6%近くを外国人が占め、東京では20代の10人に1人が外国人という計算になる。
街のあちこちで働く外国人が目立って当然である。先ごろ政府が外国人の単純労働者の制限つき受け入れ方針を示したのも、深刻化する人手不足のゆえだった。だがそこには共に社会を支える外国人の暮らしを守る策や構想は乏しい。
古代の渡来人がもたらした文化はその後の日本を作った。ならば今、人口減少社会の日本人は外国の多様な働き手をどう迎え入れ、共に安心できる暮らしを営むのか。なすべき論議が現実に追い越された。