木村草太の憲法の新手(83)虐待 親制裁だけでは解決せず - 沖縄タイムズ(2018年7月1日)


http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/275786
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目黒の幼児虐待死が報じられてから、(1)警察との情報共有(2)一時保護、親権停止−など親子切り離しの拡充が議論されている。前回に続けて、掘り下げてみたい。
まず(1)について。以前に虐待があった家庭など、虐待リスクが高いにもかかわらず、不自然に安否確認を拒否する場合など、強制的な措置や、警察との協力が必要なケースがあるのは確かだ(もちろん、強制的な措置をとるなら、裁判所による令状をセットにせねばならない)。ただ、「虐待が疑われる全事案」や「通報があった場合」について警察と全件共有すべきかについては、慎重に考えるべきだ。
警察は基本的には犯罪捜査機関であり、警察の介入は、「犯罪者だ」との嫌疑を社会に表示することになる。不用意に警察が介入すれば、親が地域社会や雇用の場で偏見の目にさらされ、かえって養育環境が悪化する危険もある。また、「児童相談所に通報すると、即座に警察にも伝わる」という前提では、今でもしづらい通報を、さらに躊躇(ちゅうちょ)してしまうことにならないだろうか。
21日、東京都で全庁横断の会議が開催され、情報共有の拡大が議論されたが、そこでも「通報全共有」ではなく、安否確認ができない場合と、虐待が確認されたケースの情報共有が必要と議論されている。
次に(2)について。親子の切り離しは、「体罰教員を学校から追い出せ」との主張ほど単純な話ではない。
まず、親子を切り離そうにも、子どもを保護する施設が足りない。入所できても、複雑な事情を抱えた子どもが集団で生活するため過度に厳しい規律を課しており、子どもにとって心休まる場所とは言えないケースが多々あるという。個室を用意し、一人一人のケアを丁寧に行えるだけの物的・人的援助が必要だろう。
さらに、教育が家庭の経済力に過剰に依存している現状では、家庭からの切り離しは、教育へのアクセスに大きな障害をもたらす可能性がある。例えば、里親や児童養護施設で社会的養護を受けた子たちに、大学進学への十分な機会が与えられるだろうか。虐待は必ずしも貧困家庭だけのものではなく、元の家庭の方が経済的に恵まれていることもある。このような状況で、親子の切り離し拡大だけを進めても、子の最善の利益は実現できない。
私はこの頃、ひどく気にかかっていることがある。虐待を受けた子どもが、自らの親を非難するのは当然だ。しかし、他人が虐待親を非難し、刑罰を科し、子どもから切り離したとして、子どもが救われるのだろうか。
厚生労働省の把握した「虐待死」の3分の1程度は、「心中」の事案だ。心中は、社会保障がうまく機能しないときに起きることが多い。2014年、銚子市で、生活保護が受給できず、公営住宅からの強制立ち退きを迫られた母が、中学生の娘を殺してしまう事件が起きた。
親を虐待に追い込んでいるのは、子どもを育てるのに十分な金銭的、時間的、精神的な余裕を与えない社会だ。親への制裁だけでなく、子どものための社会保障充実にも、ぜひ目を向けてほしい。(首都大学東京教授、憲法学者