沖縄慰霊の日 翁長氏「20年以上前合意の辺野古が解決策か」 - 東京新聞(2018年6月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018062402000108.html
https://megalodon.jp/2018-0624-0959-54/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018062402000108.html


太平洋戦争末期の沖縄戦終結から七十三年を迎えた「慰霊の日」の二十三日、二十万人超の犠牲者をしのぶ「沖縄全戦没者追悼式」が、最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で営まれた。翁長雄志(おながたけし)知事は平和宣言で、就任以来四年連続で米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)移設に反対し阻止する姿勢を表明した。安倍晋三首相はあいさつで、辺野古移設に直接触れなかった。 (村上一樹)
翁長氏は、米朝首脳会談朝鮮半島の非核化を明記した共同声明が発表されたことなどを踏まえ「平和を求める大きな流れの中にあっても、二十年以上も前に合意した辺野古への移設が唯一の解決策と言えるのか」と疑問を投げかけた。
普天間飛行場は一九九六年に日米両政府が返還で合意したことに基づき、米海兵隊基地のキャンプ・シュワブがある辺野古が後に移設先に決まった。日本政府は辺野古移設が「唯一の解決策」との立場を貫いている。翁長氏は日米両政府に「現行計画を見直すべきではないか」と迫った。
辺野古で進む新基地建設には「沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりでなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できない」と非難。「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らがない」と強調した。
首相は、追悼式では「できることは全て行う。引き続きこの方針の下、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と語るにとどめた。
辺野古移設については追悼式後「辺野古に移ることで(米軍機の)飛行経路が海上に移り、学校、住宅の上空は飛行経路とはならず安全上大幅に向上する」と記者団に利点を説明。「普天間基地の一日も早い全面返還を実現するため、関係法令にのっとって移設を進める」と強調した。

◆首相と知事 今秋ともに任期の節目
沖縄の「慰霊の日」に当たる二十三日の追悼式に、沖縄県翁長雄志知事と安倍晋三首相は、二〇一五年から四年連続で同席し、沖縄の基地負担に対するそれぞれの立場や思いを語ってきた。今秋には県知事選と自民党総裁選があり、そろって「任期満了」の節目を迎える。
沖縄県知事選は十一月十八日が投開票。名護市辺野古の米軍新基地建設反対を訴える県政与党や経済界の一部は、翁長氏の二期目擁立に向けて動いている。
翁長氏は四月に膵(すい)がんと診断されたことを公表し、手術を受けた。六月の県議会で、手術は成功し、再発や転移を抑える治療を続けていると説明。知事選への対応には言及しなかった。
自民党総裁選は九月二十日投開票で調整中。安倍首相(総裁)は北朝鮮による日本人拉致問題を自ら解決させる考えを示すなど、連続三選に強い意欲を示している。 (篠ケ瀬祐司)


沖縄戦> 太平洋戦争末期の1945年3月26日、米軍が沖縄・慶良間諸島に上陸して始まった地上戦。旧日本軍の組織的戦闘は同年6月23日、南西諸島守備軍(第32軍)司令官の牛島満・陸軍中将らが自決して終わったとされる。局地戦はその後も続き、現地軍が正式に降伏調印したのは、終戦翌月の9月7日だった。日米双方で計20万人以上が死亡。沖縄県民は4人に1人が犠牲となったとされる。現地軍は住民に対し、集団自決を強制したりスパイ容疑をかけて虐殺したりした。