戦後73年 沖縄「慰霊の日」 平和とは 命を輝かせて生きること - 東京新聞(2018年6月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018062302000252.html
http://web.archive.org/web/20180623110308/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201806/CK2018062302000252.html

沖縄県は二十三日、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった二十万人超をしのぶ「慰霊の日」を迎えた。七十三年前のこの日、沖縄戦の旧日本軍による組織的戦闘が終結したとされる。最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」(県など主催)が営まれた。翁長雄志(おながたけし)知事は平和宣言で、米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)移設を阻止する姿勢を貫くとともに、国民に基地負担の軽減を求めた。 
来年四月末に退位される天皇陛下は六月二十三日を、八月の広島や長崎への原爆投下日や終戦の日とともに「忘れてはならない日」としてきた。式典で戦没者遺族や翁長氏、安倍晋三首相ら約四千九百人は、正午に約一分間黙とうした。

翁長氏は任期中最後となる平和宣言で、十二日に行われた史上初の米朝首脳会談に言及。「朝鮮半島の非核化への取り組みや平和体制の構築の共同声明が発表され、緊張緩和に向けた動きが始まっている」と指摘した上で、普天間飛行場辺野古移設を「流れに逆行する」と主張した。
首相はあいさつで、沖縄で米軍関係地の一部が三月に地権者へ引き渡されたことを、負担軽減の成果として強調。「できることは全て行う方針の下、全力を尽くす」とした。「平和の詩(し)」を朗読した同県浦添市の女子中学生は、反戦を訴えた。
公園内の石碑「平和の礎(いしじ)」には、敵味方の区別なく戦没者の氏名を刻んでいる。今年は五十八人を加え、総数は二十四万一千五百二十五人となった。
熾烈(しれつ)な地上戦となった沖縄戦では民間人が多数巻き込まれ、県民の四人に一人が犠牲になった。戦後、沖縄は本土に復帰する一九七二年まで米国が施政権下に置き、強制的な土地収用で米軍基地が次々と建設された。今も国内の米軍専用施設の約70・3%が集中する。
昨年十二月には普天間飛行場に近い小学校の校庭に、大型輸送ヘリの窓が落下。今月十一日には沖合でF15戦闘機が墜落し、後を絶たない米軍機の事故やトラブルに県民の反発が強まっている。

【沖縄の願い】平和の詩 「生きる」慰霊の日 2018

【平和の詩 全文】
23日の沖縄全戦没者追悼式で、沖縄県浦添市立港川中3年の相良倫子(さがらりんこ)さん(14)朗読の「平和の詩」全文は次の通り。(原文のまま)

生きる

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

私は今、生きている。

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶(いなな)き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線(さんしん)の響き、

照りつける太陽の光。

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

私はこの瞬間を、生きている。

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

私の生きる、この今よ。

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面(みなも)は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、

宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

今を一緒に、生きているのだ。

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

私は今を、生きていく。