天皇退位へ1年 憲法と調和した儀式を - 東京新聞(2018年4月30日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018043002000137.html
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天皇家は長い伝統を持つ。同時に天皇の地位は憲法で定めている。陛下の退位まであと一年になった。代替わりの儀式は憲法との調和が求められる。
明治憲法での天皇日本国憲法での天皇を比べてみる。地位は前者は「神勅」という神の意思によっている。後者は「国民の総意」に基づいている。
権能はどうであろうか。前者は統治の総攬(そうらん)者でさまざまな大権を持つ存在であるのに対し、後者は政治的な権能を有しない。そもそも前者では天皇が主権者であったのに、後者では国民が主権者である。つまり天皇制は別物である。東大教授で最高裁長官でもあった横田喜三郎の説である。
◆「由緒ある物」とは何
では、宮中の法などはどうであろうか。旧皇室典範は皇室といういわば“家の法”であったが、戦後に国の法に変わった。皇室経済法という法律もある。この法の七条にはこんな規定がある。
皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣(こうし)が、これを受ける>
これをどう解釈すべきか。「三種の神器」は「由緒ある物」とも考えられる。皇位のしるしとされる鏡、剣、璽(じ)(勾玉(まがたま))の三つの神器のことだ。このうち即位の礼の儀式では、剣と璽等を受け継ぐ「剣璽等承継の儀」がある。
「神器継承儀式が政教分離原則に違反するなら、この規定を根拠にそうした儀式を行うことは許されず、またそうした儀式を定めたものとしてこの規定が解釈されるなら、この規定自体が違憲である」(横田耕一著『憲法天皇制』岩波新書
明治憲法の下で国家神道と政治が深く結び付いた戒めから、現憲法では政教分離憲法で規定する。その原則を神器継承の儀式と照らすと、違憲との学説も出てくるのだ。案外と難しい。
政教分離との関係は
ある人は言うであろう。それほど堅苦しく考える必要はないではないか。日本の長い伝統を尊重し、天皇の代替わりの儀式はそれに則(のっと)って行うべきではないかと。
またある人は言うであろう。天皇自身が憲法で定められた存在であるのだから、その儀式も憲法に合致すべきだ。戦前の天皇制ではないから、現憲法にふさわしい代替わりであるべきだと。
政府が既に決定している基本方針は「憲法の趣旨に沿い、皇室の伝統などを尊重したものとする」と明記している。もっともな書き方ではあるが、双方、両立させることが意外と矛盾をはらむ可能性もあることが理解されよう。
既に決まった日程を記してみる。陛下の退位の儀式として、「退位礼正殿の儀」が二〇一九年四月三十日に宮中で行われる。これは国事行為としてである。
翌五月一日に新天皇が即位するが、即位の中心的な儀式「即位礼正殿の儀」は同年十月二十二日に行う。これも国事行為である。宮中の重要な祭祀(さいし)である「大嘗祭(だいじょうさい)」は同年十一月十四日から十五日にかけて行う方向である。
もっとも神々に新穀を供える「大嘗祭」は皇室の行事となる。憲法政教分離原則に配慮した。宗教色が濃いため、昭和天皇逝去に伴う前例に倣った。
問題は神道色の強い儀式を国事行為としたり、公費を充てることについて疑義があるかどうかだ。
前回は知事の参列などが政教分離原則違反とする訴訟が各地で起きた。請求は退けられたが、大阪高裁では「国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概に否定できない」との指摘があった。非常に微妙な問題で再び批判が上がることも予想される。
天皇が高御座(たかみくら)からお言葉を述べるとき、首相が見上げる場所にいると、国民主権の観点から疑問視されうる。工夫の余地はあるのかもしれない。
今回、剣璽等承継の儀には男性皇族に限って参列する予定だ。だが、政府内でも前例踏襲派と、今の時代に合わないとして女性皇族の参列を認めるべきだとする声があった。国民と同じ人権が及ばない皇族といえども、憲法の男女平等からは異論があろう。
天皇の退位は江戸時代の光格天皇以来二百年ぶりとなる。一口に皇室の伝統というが、その式典の在り方は時代により変化している。三十年前には「剣璽渡御の儀」の名称を「剣璽等承継の儀」と改めている。
◆戦前の宗教性は排して
皇室に親しみを持つ国民は多い。敬意もあろう。だが、戦前の宗教的な権威や神聖性を帯びた存在とは異なる。象徴天皇の代替わりは国民の理解を得つつ、憲法との調和が必要である。政府にはそんな再検討と準備が求められているのではなかろうか。