セクハラ疑惑 辞任で終わらせるな - 東京新聞(2018年4月19日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018041902000175.html
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「官庁の中の官庁」といわれる財務省の人権意識がこの程度であれば政権全体のそれも推して知るべしだ。セクハラ疑惑にあった福田淳一事務次官が辞任したが、それで終わりではないはずだ。
公僕、全体の奉仕者という言葉は財務省には死語なのか。
「セクハラの被害者がいれば名乗り出よ」という財務省の調査方法は、被害者に二次被害を生じさせかねず、セクハラ対応としては論外だった。
同省の顧問弁護士という身内に委ねるのも公平ではなかった。
それ以上に、税務調査権など強大な権力を持つ財務省が、会社組織に属する一市民を相手に「名乗り出られるものなら名乗り出てみろ」という態度では、力ずくの口封じととられてもおかしくない。
名乗り出れば、会社での地位が危うくなり職業すら脅かされるとの不安も抱こう。何をされるかわからない怖さを与えるのは、独裁者が市民の声を抹殺する手法を想起させるのである。
記者として取材先とのやりとりは明かすことができない規範であり、報道の自由にかかわる問題をも含んでいる。だが、麻生太郎財務相は「被害者の申告がない場合はセクハラ認定は難しい」旨の発言を繰り返し、調査に対して与野党から批判が高まってもかたくなに撤回しない姿勢を貫いてきた。
これでは、申告しにくい事情を逆手にとった手法だと断じざるを得なかった。そもそも麻生氏は福田事務次官について「実績を踏まえれば、あの一点をもって処分すべきでない」と話したように、有能であればセクハラは許されるかのような考えを示していた。
世界的にセクハラを告発する運動が広がる中、あまりに感覚がずれている。海外メディアもこの疑惑を報じ始めており、世界に恥をさらしているのである。
疑惑を否定してきた福田次官は「引き続き、身の潔白を明らかにしたい。だが、現在の状況を鑑みると職責を果たすことが困難だ」と辞任を申し出た。
これでは疑惑にふたをし、依然として真相はやぶの中だ。隠蔽(いんぺい)体質など政権が抱える問題はうやむやにされてしまう。
安倍晋三首相は「膿(うみ)をすべて出し切る」と口では言う。だが中央省庁で疑惑がこれだけ相次ぎ、疑いが晴れないものばかりだ。
「魚は頭から腐る」。財務省トップの麻生氏、そして行政の長たる安倍首相が責任をとらなければ、膿は出し切れないだろう。