宿営地サマワ「戦闘拡大」イラク日報、政府説明と乖離 - 朝日新聞(2018年4月16日)

https://www.asahi.com/articles/ASL4J4GJRL4JUTFK00B.html
http://archive.today/2018.04.16-132107/https://www.asahi.com/articles/ASL4J4GJRL4JUTFK00B.html

防衛省は16日、存在しないとしてきた自衛隊イラク派遣の際の活動報告(日報)を初めて開示した。2004〜06年の派遣期間中、現地の治安状況などを示す記述に「戦闘」の文字が複数あることが判明。政府が自衛隊の活動範囲を「非戦闘地域」としてきた説明との乖離(かいり)が浮かび上がった。

日報はイラクで活動中だった陸自の部隊が作成した。開示したのは、省内に残っていた04年1月20日〜06年9月6日の435日分、計1万4929ページ。派遣期間全体のうち、45%にあたる日数の記録で、治安が悪化した後期が多い。黒塗り部分もあり、活動の全容が明らかになったとは言えないが、給水や施設など実際の支援活動を担当した「イラク復興支援群」、サマワの行政機関や日本外務省などと調整を担った「復興業務支援隊」、撤収作業を担った「後送業務隊」の各部隊の陸自1佐クラスが、日誌のように現地の日々の治安状況や装備の具合を記した内容だ。
06年1月22日の日報では、宿営地を置いたサマワの治安情勢について「英軍に武装勢力が射撃し、戦闘が拡大」との記述がある。05年6月23日には、陸自の車列が進路脇の爆弾で被害に遭い、宿営地外での活動を自粛。日報には、「ミラーは割れ落ちている」「無数のキズ」などの解説付きで破損した車両の被害状況、爆発現場を写真で示した。
また、派遣期間中、宿営地付近にはロケット弾が撃ち込まれるケースが複数回あった。05年7月5日の日報には、「サマワ宿営地付近にロケット弾着弾。連続発生の可能性は否定できず」と記している。
憲法は海外での武力行使を禁じており、政府はイラクでの自衛隊活動が「他国軍の武力行使との一体化」ととられないよう、「非戦闘地域」という考え方を編み出した。当時の小泉純一郎首相は04年11月、国会の党首討論で「自衛隊が活動している地域は非戦闘地域だ」と答弁し、厳しい批判を浴びた。日報からは、政府の説明とは違い、現場の隊員にとって危険と隣り合わせの実態が読み取れる。
小泉氏は06年6月20日に陸自部隊の撤収を表明。理由として「陸自の人道復興支援活動が一定の役割を果たした」と述べた。しかし、直近の5月31日には、サマワ自衛隊と豪州軍の車両が進行中、進路脇の爆弾が爆発。この日の日報は、「爆発事案」として詳細を記録し、仕掛け爆弾(IED)の可能性を指摘した。現場写真とみられる部分は黒塗りだが、緊迫した事態が続いていたことをうかがわせる。
小野寺五典防衛相は16日夕、「イラク特措法に基づいて活動したという認識に変わりない」と述べ、非戦闘地域とした根拠は覆らないとの認識を強調した。

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自衛隊イラク派遣と日報〉 2003年のイラク戦争の戦闘終結後、復興支援を目的として、小泉政権自衛隊を派遣するためのイラク復興支援特別措置法を制定。自衛隊活動の範囲を「戦闘行為が行われることのない地域」と定めた。
陸上自衛隊は、04年1月から06年9月まで約2年8カ月間、延べ約5600人を派遣。イラク南部のサマワに宿営地を設け、学校や道路の修復、医療支援などにあたった。日報について防衛省は「ない」としてきたが、昨年3月に陸自研究本部で発見。今年4月2日に存在することを認めた。

陸自イラク「日報」 防衛省が公表した全文書 - 朝日新聞(2018年4月16日)
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防衛省は16日、これまで「存在しない」としてきた自衛隊イラク派遣の際の活動報告(日報)を公表した。計435日分、約1万5千ページにのぼる日報は次の通り。

  • イラク復興支援群の日報 370日分
  • イラク復興業務支援隊の日報 26日分
  • イラク後送業務隊の日報 39日分