(教えて 憲法)国会で改憲機運、安倍首相の登板で再び - 朝日新聞(2018年2月6日)

https://www.asahi.com/articles/ASL256VJ2L25UTFK027.html
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教えて!憲法 基本のき:1

ことしの政治の最大のテーマは、憲法改正だといわれます。私たちは近い将来、賛成か反対か、改憲案への意思表示を国民投票で迫られることになるかもしれません。そもそも憲法とは何か。何が書いてあるのか。憲法の「基本のき」を全8回でおさらいします。
ここ数年、憲法改正の議論が盛んになった直接のきっかけは、改憲を悲願とする安倍晋三氏が首相になったことだ。
首相は今国会がはじまった1月22日も、「わが党は結党以来、憲法改正を『党是』(政党の根本方針)としてかかげ、長い間、議論を重ねてきた。いよいよ実現するときを迎えている」と決意を語った。
ただし、首相の言い方は、少し大げさだ。
政界で、憲法改正はどのように論じられてきたのだろうか。
1955年に生まれた自民党は、綱領の下にある政綱で「現行憲法の自主的改正」とうたった。これが「党是」といわれるゆえんだが、つねに前面に押し出してきたわけではない。
結党当初、改憲論を主導したのは、鳩山一郎岸信介の両元首相だ。ともに連合国軍によって公職追放されている間に新憲法が制定されたことを「押し付け」と批判。自らの手で憲法を制定しようと訴えた。
安倍氏の祖父でもある岸氏は、内閣に「憲法調査会」をつくり、自主憲法制定に向けて力を注いだ。だが、60年安保闘争を受けて退陣。後をついだ池田勇人内閣が経済成長優先の路線をとると、自主憲法論は政治の表舞台から消えていった。
70年代に入ると、国会では改憲論自体がタブーになった。9条を中心に多くの国民が憲法を支持し、社会党など護憲政党が一定の勢力を占めていたからだ。
82年には、根っからの改憲論者の中曽根康弘氏が首相になったが、改憲を実行に移せなかった。

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〈押しつけ憲法論〉 米国を中心とした連合国軍による占領下で制定された日本国憲法について、日本の主権が制限されるなかで国民の意思に基づかずに連合国軍総司令部(GHQ)に「押しつけられた」とする考え方。実際にGHQが1週間程度で作った総司令部案(マッカーサー草案)を日本側に手渡し、それを指針として憲法は作られた。
実際には、戦後の帝国議会の審議で独自の修正も重ねられたが、1955年の自由民主党結党メンバーのうち、鳩山一郎岸信介首相は制定経緯を問題視。「現行憲法の自主的改正」を党是とする自民党が、改憲をめざす主な理由とされてきた。
その後、9条をはじめとして憲法が国民に定着するようになり、押しつけ憲法論は徐々に弱まっていった。

自社連立時代には歩み寄り

憲法をめぐる状況に大きな変化が起きたのは、90年代だ。
野党に転落していた自民党が94年、社会党新党さきがけとの連立で政権に復帰。自衛隊違憲としてきた社会党村山富市委員長が首相につき、自衛隊合憲、日米同盟堅持を打ち出した。「自衛隊の最高司令官の首相が違憲だとは言えない」との考えだった。
これにこたえるかのように自民党も方向を変えた。
河野洋平総裁は95年の党大会で「新宣言」を採択。憲法について、「すでに定着している平和主義や基本的人権の尊重などの諸原理を踏まえて議論を進めていく」との方針を打ち出した。自主憲法制定論の事実上の棚上げだった。党内の若手からは「自民党自民党でなくなってしまう」との強い異論が出たが、戦争経験のある重鎮・後藤田正晴氏が河野氏に力を貸した。
かつてのライバル政党の歩み寄りで、憲法をめぐる政党間の対立はうすれた。9条を中心とした国会での論争はしずまり、区切りがついたと見られた。

世論の変化も背景に

ところが国会での改憲機運が再び高まるのには、そう時間はかからなかった。
2000年、衆参両院に「憲法調査会」がもうけられた。岸政権の時代には内閣の組織だったものが、50年近くの時をへて国会にできた。憲法問題を専門的に議論する場が国会にできたのはこれが初めてだった。
背景にあったのは、世論の変化だ。若い世代を中心に、「憲法改正は必要だ」と考える人たちが増えてきた。社会党に代わる野党第1党の民主党も、議論そのものは拒まない姿勢をとるようになった。
さらに改憲論の中身も、自主憲法制定論から国際貢献のあり方や環境権などの「新しい人権」に軸足が移っていった。
憲法調査会は05年に憲法調査特別委員会へと衣替えし、憲法改正のための国民投票の手続きをルール化した国民投票法を制定した。これで改憲に向けた法的制度が初めて形としてととのった。そして発足したのが改憲原案の審議もできるいまの「憲法審査会」だ。
こうした歴史的な曲折の末にあるのが、安倍首相の改憲論だ。ただし、9条改正にこだわる主張の中身は、60年あまり前に岸元首相がかかげた自主憲法制定論に「先祖返り」しているともいえる。(石松恒、編集委員・国分高史)

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国民投票法〉 国会が発議した憲法改正案の賛否をきめる国民投票の具体的な方法を定めた法律。正式名称は「日本国憲法の改正手続に関する法律」。憲法は96条で改正の手続きを定めているが、国民投票を実施するための法律は長年整備されず、2007年になって制定された。
投票権を持つのは18歳以上の日本国民となる。国民投票は発議した日から60日以後180日以内の、国会の議決した日におこなう。
発議後、衆参両院の各10人でつくる「国民投票広報協議会」で広報活動のあり方をきめる。国民投票のための運動は原則として自由だ。賛否を呼びかけるテレビ、ラジオCMは投票日前の14日間だけ禁止されるが、それ以外の広報活動は自由にできる。
改正案は関連する事項ごとにまとめて提案される。そのため、自民党憲法改正草案のように憲法を丸ごと改正することはできない。
投票は改正案ごとに1人1票で、「賛成」「反対」のいずれかに丸をつける。有効投票数の過半数が賛成すれば承認される。

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〈衆参両院の憲法審査会〉 2007年の国民投票法の成立とあわせて衆参両院にもうけられた。与野党の対立もあって、実際に動き出したのは民主党政権の11年11月だった。
国会に提出された憲法改正原案を審査し、過半数が賛成すれば本会議にかけられる。国会法では、憲法改正原案や改正の発議、国民投票に関する法律案などの審査のほか、「憲法及び憲法に密接に関連する基本法制」の広範かつ総合的な調査が審査会の役割とされる。
審査会の構成メンバーは衆院が50人、参院が45人で、両院の議席数に応じて各会派に配分される。審査会の日程や議題に関する協議は、各会派の代表からなる幹事会や幹事懇談会でおこなわれる。