(筆洗)歩きながらや自転車に乗りながらのスマートフォン - 東京新聞(2017年12月17日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2017121702000135.html
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その歩き姿にぎょっとする。深夜、歩きながら、スパゲティを食べている若い会社員と擦れ違う。
結構な大きさのお皿を抱え、すすり、歩く。見れば小脇にはビジネスバッグ。見ている方がむせる。もはや、曲芸の域である。連れていたウチの犬がほえるのも無理はない。
「ながら」でいえば、スマートフォンを凝視しながら歩く人を見かけない日はない。トイレで小用をたしながら操作する人も見たことがある。そこまで日本人は忙しくなかろうて。
スマートフォンを操作しながら、自転車に乗っていた女子大学生が歩行者に衝突し、死亡させてしまった事故が川崎市内であった。大学生は両手をハンドルに添えた状態で右手に飲み物、左手にスマートフォン、左耳にイヤホンをしていたとされる。その「曲芸」が悲しい。
歩きながらや自転車に乗りながらのスマートフォンがこれほど批判されているのに、なにゆえ、やめられぬのか。時間の節約や効率の得を考えているのかもしれぬが、その危険を考えれば大損しかあるまい。この女子大学生も取り返しのつかぬ事故に後悔しているだろう。
悪いが、「ながら」の君をよけるたび、こちらは心の中でののしっている。たぶん、大勢の人がそうだろう。ぶつかればの想像力もなく、人の迷惑も考えない人間でござい。そう自分で宣伝しながら歩いている大損になぜ、気がつかぬ。