http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201710/CK2017100702000124.html
https://megalodon.jp/2017-1007-0947-56/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201710/CK2017100702000124.html
学生時代から平和運動に携わり、世界に核軍縮の重要性を発信し続けてきた。ノーベル平和賞受賞が決まったICANの主要メンバーで、国際運営委員を務める川崎哲(あきら)さん(48)は、核兵器禁止条約に署名しない日本を憂う。「核兵器の禁止と廃絶を願い、勇気を持って声を上げてきた広島、長崎の原爆被爆者らに向けられたものだと思う」。核なき世界に向け、力とする覚悟だ。
東大在学中の一九九〇年代、湾岸戦争で多国籍軍に援助する日本政府の姿勢に疑問を持った。
仲間を募り、国会前で太鼓をたたき、自衛隊の海外派遣を可能にする国連平和維持活動(PKO)協力法に対する抗議の声を上げた。
NGO「ピースボート」で、百数十人の被爆者と船で世界を回ってきた。被爆者からは「原爆で多くの人が犠牲になったのに、自分は生きている」という「罪の意識」を打ち明けられたこともあった。
多くの被爆者と交流する中で「こんな非人道的な兵器はなくした方が良い」との思いを強くし、核兵器禁止条約の採択に尽力。今年九月、米ニューヨークの国連本部で開かれた署名式を傍聴した。「良い条約ができた。九十点。提案していた『被爆者』という言葉が条文に入りましたから」
核武装を唱える意見が政治家から出てくる日本の現状に危機感を抱いている。核兵器廃絶運動をリードし、八月に亡くなった長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんが話していた「最後の被爆者がいなくなった後が心配だ」との言葉を実感するという。世界が原爆の恐ろしさを忘れないため、核を強制的に禁止する条約の採択を目指した。
日本政府は禁止条約に加わる展望はあるとみている。「圧倒的多数の批准国で条約を発効させることができれば、米国の『核の傘』に入る国々に、参加を促す事実上の圧力になる」
国際会議などで今でも海外を飛び回る。自宅に戻ることは少ない。平和賞受賞の知らせは、被爆者も乗るピースボートに合流するため、アイスランドに向かう機内で「驚きと喜び」とともに受け止めた。