「不屈」辺野古に脈々と 米軍抵抗の象徴・瀬長亀次郎氏、映画に - 東京新聞(2017年9月6日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201709/CK2017090602000229.html
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米軍統治下の沖縄で抵抗運動の象徴だった政治家、瀬長亀次郎氏の生涯をたどった記録映画が沖縄で好評だ。決して米軍の弾圧に屈しなかった「不屈」の精神は、今も米軍普天間(ふてんま)飛行場(宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古(へのこ)移設に反対する運動に脈々と継承されている。
題名は「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」。一九五二年の琉球政府創立式典で、立法院議員(現在の県議)だった瀬長氏は一人だけ起立せず、米軍への忠誠の宣誓と押印を拒否した。
以来、米軍は要注意人物として弾圧する。
米軍は五四年に瀬長氏を逮捕し投獄。だが、五六年に出所した瀬長氏は那覇市長に当選する。米軍は瀬長氏の被選挙権を奪った上で、圧力により市長不信任案を可決させ、失職に追い込んだ。これに対しても瀬長氏は市長選で自らの後継者を当選させて抵抗した。
米軍による低額での土地の買い上げに反発して五六年に起きた「島ぐるみ闘争」では、瀬長氏の演説に県民は奮い立った。

瀬長氏は好んで「不屈」と書いた。次女の内村千尋さん(72)によると「弾圧を恐れずに闘う県民の姿を表していた」と説明していたが、県民は瀬長氏の代名詞とした。
辺野古の反対運動では合言葉のように使われる。依然として広大な米軍基地が残る現状に内村さんは「ますます『不屈』は輝きを増している」と指摘した。